6.3L V8エンジンのGTサルーン メルセデス・ベンツ300 SEL 6.3 ジェンセンFF 前編

公開 : 2022.09.24 07:05

アメリカとイタリアの個性が英国で融合

300 SEL 6.3には先進的なエアサスペンションが搭載され、機械式インジェクションで燃料を供給。量産技術が導入され、モノコック構造を採用している。事故時に衝撃を吸収するクラッシャブルゾーンが設けられ、安全性も高かった。

一方のFFはイタリアのカロッツエリア、ヴィニャーレ社によるボディパネルが、パイプで組まれたシャシーへ溶接されている。英国の職人によって、1つ1つ手作業でアメリカとイタリアの個性が融合されている。

ジェンセンFF(1967〜1971年/英国仕様)
ジェンセンFF(1967〜1971年/英国仕様)

直線が速いだけではなく、安全で豪華なグランドツアラーを作りたいという、アラン・ジェンセン氏とリチャード・ジェンセン氏という兄弟の想いがカタチになっている。ディスクブレーキを他社に先駆けて採用し、シートベルトが標準装備されていた。

もともと、メルセデス・ベンツ300 SELは速いクルマではなかった。同社の技術者が、老人向けのモデルを生産しているという評判を耳にし、それを払拭するために6.3が追加されたという。

リムジンの600に搭載されていたV型8気筒エンジンが、W109型の300にも積まれることになった。技術者のエーリッヒ・ワックスバーガー氏が導き出したシュツットガルトのマッスルカーは、小さなきっかけから生まれた。

1968年から1972年までの間に、メルセデス・ベンツは300 SEL 6.3を6526台製造している。特に北米での人気が高く、1965年に発表されたW108型とW109型はモデルライフの後半に入っていたが、経営陣を驚かせるほど売れた。

ジョージ・ハリスンやミック・ジャガーも所有

当時の自動車雑誌、ロード&トラックは1968年11月に試乗テストを実施。300 SEL 6.3を「世界で最も偉大なサルーン」だと讃えている。

英国では、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスン氏やローリング・ストーンズのミック・ジャガー氏といった大スターが、オーナーに名を連ねた。多くのF1ドライバーも。

メルセデス・ベンツ300 SEL 6.3(1968〜1972年/英国仕様)
メルセデス・ベンツ300 SEL 6.3(1968〜1972年/英国仕様)

かたや、FFは1967年から1971年という短期間に320台が生産された。アウディがクワトロで四輪駆動の可能性を証明する、13年も前に登場した異端児といえた。

ジェンセンがFFに頻発する初期トラブルを解決でき、1500ポンド手頃だった後輪駆動版のインターセプターと同じペースで量産できていれば、ブランドは生き残れたかもしれない。だが、それは叶わず1976年に廃業している。

欧州本土や北米大陸へ輸出するには、左ハンドル仕様が必須だった。だが、前後で37:63のトルク分配率を持つセンターデフとトランスファーを積む構造上、シャシーには大きく手を加える必要があった。

1971年には、アメリカの衝突試験テストが少量生産モデルにも求められるようになり、ジェンセンの運命は決定づけられた。「世界で最も安全なクルマ」だと同社が主張したFFは、皮肉にも安全に関わる規制を理由にアメリカ上陸が叶わなかった。

1967年に製造されたFFは、僅か25台。1969年までに初期型のMk Iは195台がラインオフした。Mk IIは110台。最終型のMk IIIは15台に留まっている。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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