ボルボ144Sで大西洋から北極海へ 片道1万6000km カナダ人学生のロードトリップ 前編

公開 : 2022.10.02 07:05

数週間ガレージに閉じこもりレストア

それと前後するようにCOVID-19の流行で大学は閉ざされ、授業はオンラインに。専攻は建築だったが、モチベーションは著しく低下していた。卒業を迎える学年でも、気分は虚しいままだった。世界は止まっている様子だったが、自分もその一部だった。

どこかへ冒険に出かけたいという気持ちがくすぶっていた。世界で入国制限が実施され、海外旅行は現実的ではなかった。しかし、少なくともカナダ国内は往来が自由だった。

1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子
1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子

3人組が型破りなロードトリップに挑むBBCトップギアのファンだったこともあり、人生に1度といえるクルマ旅へ出ようと決断するのに、長い時間は必要なかった。目的地はカナダ北西、ノースウエスト準州のトゥクトヤクトゥクに絞った。

目標の達成には、過酷な地形にも耐えられる信頼性の高いクルマが必要だった。自分で修理できる、シンプルなメカニズムであることも重要だった。裏庭にあるボルボ144Sのレストアから始めた。

スウェーデンはもちろん、欧州全土やアメリカからも部品をかき集めた。交換用のサスペンションや、キャブレターとトランスミッションのリビルドキットを取り寄せ、数週間ガレージに閉じこもった。

この過程で、整備に関する技術も自然と習得できた。本番の旅でも役に立ってくれた。

2回目のワクチンを打ち終え、2021年7月4日にカナダ横断のロードトリップへ出発。23歳の自分は、完全な自由だという感覚に興奮を抑えられなかった。

出発時から生じていた走行中の小さな振動

最初の目的地は、大西洋に面した東部のノバスコシア州ペギーズ・コーブという岬。1日目の夜はルーフテントで過ごしたのだが、風雨に晒されながら1人で眠ることの恐ろしさが、改めて身に沁みた。それから数日は、慣れないまま夜を過ごした。

翌日はペギーズ・コーブの町を散策。入り江でボルボと並んで記念写真を撮影。太平洋を経由し、北極海を目指す旅が始まった。

1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子
1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子

当初の数日間はトラブルフリー。長距離トラックに並んで、駐車場で寝泊まりしながら西を目指した。走行距離は1日に数100km。自動車での旅を心から楽しんだ。

日程的な予定は立てていなかったものの、2か月間がざっくりした目安だった。2週間目にはオンタリオ州に入り、フレデリコという新しい友人ができた。

45歳の彼は、かつてラリードライバーだったという。砂浜で過ごすことをこよなく愛し、ホンダシビックで世界中を旅している途中だった。変わった性格の持ち主だったが、今まで出会ったなかで最も賢いと思わせる男性でもあった。

オンタリオ州のワサーガ・ビーチで数日間を彼とともに過ごし、中部の丘陵地帯へ。景色が素晴らしいだけでなく、五大湖の信じられないほど透明な水に感動させられた。

ボルボは丘陵地帯が得意ではなかった。夏の暑さはスタート時から悩みのタネだったが、数時間休憩すれば走れる水温に戻っていた。しかし、潜在していた深刻な問題は、当初から走行中に感じていた小さな振動だった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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