ボルボ144Sで大西洋から北極海へ 片道1万6000km カナダ人学生のロードトリップ 前編

公開 : 2022.10.02 07:05

COVID-19の流行で溜まった空虚感を晴らすべく、ロードトリップに出た1人のカナダ人学生。約1万6000kmの旅のレポートです。

夢の日産240SXを手に入れた高校時代

物心がついた頃から、自分の人生はクルマとともにあった。普通の赤ちゃんならママ、パパといった言葉を最初に口にするのかもしれないが、筆者の場合は「マスタング・ファストバック」だったかもしれない。

思い出もクルマと一緒。幼い頃は、1984年式のフォルクスワーゲン・ウエストファリアで自動車イベントに出かけるのが常だった。ガソリンの匂いも忘れることができない。

1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子
1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子

高校生の頃には、映画「ワイルド・スピード」の影響で日本車ファンになった。時給8ドルのアルバイトでお金を貯めて、夢の日産240SX(180SXの北米仕様)を手に入れた。

ところが、購入したその日にエンジンのガスケットが吹き飛び、クルマは走らなくなった。シャシーが錆びて穴だらけで、ブレーキも駄目だとわかったのは後日。メカニズムに対する知識は、まだ殆どなかった。

240SXでの体験は、火に油を注いだ。次に購入したのは1984年式のボルボ240。ピックアップトラックに改造されていたけれど。

サスペンションは恐ろしく硬く、公道走行にはまったく不向きだった。エンジンは燃料インジェクションのB21型。調子が良い日は100馬力を発揮していた。

修理中のことが多かったものの、走れる日は友人とドライブし、必要ではない改造を加えて楽しんだ。高校生にとって完璧なクルマだった。うるさくて低くて、いい感じに錆びていた。ボルボが大好きだったことは間違いない。

大学時代に購入したボルボ144S

大学生への進学が決まると、実用的なクルマへ乗り換えた。やって来たのは2004年式ホンダシビックのオートマティック。すぐに間違いだったと後悔したのだが。

大学生の2年目には、再びクラシックカーへ手を伸ばした。中古車売買のサイトに載っていたダークブルーの1969年式ボルボ144Sに目をつけ、携帯電話で売り手に連絡をとった。ボルボを探していたわけではなかったものの、予算に収まるクルマだった。

1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子
1969年式ボルボ144Sでカナダ・トゥクトヤクトゥクを目指す旅の様子

試乗させてもらうと悲惨な状態だった。プロペラシャフトはガタついていてフロアに穴を開けそうな勢いだったし、暖機運転が終わるとアイドリング時にエンストを連発。その時は購入には至らなかった。

目ぼしいクルマが見つからないまま1か月後、売り手から電話があり、75%も値引くという。早速その翌日、クルマを引き取りに向かった。

カナダ東部にあるニュー・ブランズウィック州モンクトンという街から自宅までは、約2時間のドライブ。同行した父は、エンストしたボルボを3度も押し掛けするはめに。とはいえ、無事に帰宅はできた。

数週間は町中を運転できたものの、あえなくトランスミッションが故障。2021年4月まで、ボルボ144は裏庭の樹の下で眠りについた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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