ザガートの斬新デザイン ランチア・フルビア・スポルト アルファ・ロメオ・ジュニア Z 前編

公開 : 2022.12.25 07:05

スタイリングはエルコーレ・スパーダ氏

裕福なイタリア人が市街地で目立つことを考えたら、デザイナーのエルコーレ・スパーダ氏が手掛けたアルミニウム製ボディは、間違いなく効果的に機能した。現在でも、これに似たスタイリングは存在しないといっていい。

フルビア・クーペよりボディは僅かに広く、全長は少し伸ばされている。印象的な雰囲気を漂わせるが、フルビアのトップグレードとしてプライスタグも強気だった。前輪駆動のドライブトレインは、クーペと基本的に変わらない。

ランチア・フルビア・スポルト(1965〜1973年/英国仕様)
ランチア・フルビア・スポルト(1965〜1973年/英国仕様)

2年後の1969年にフィアットはランチアを買収。アップデートを加えたシリーズ2が、1970年に発表される。ボディはスチール製へ置き換わるが、エンジンはシリーズ1のスポルト 1.3Sが搭載した1.3L V4と変わらず、最高出力は90psを発揮した。

トランスミッションは5速へ1段増えていた。ところが、ランチア・ファンの間では4速を支持する人の方が多い。

1971年には、フルビア・スポルト 1600が登場。シリーズ2のボディシェルに、フルビア・ラリー1.6 HF用としてチューニングされた116psの1.6Lエンジンが搭載され、大胆なボディに見合った動力性能を発揮した。

このスポルト 1600は、英国では1972年から1973年にかけて正規販売されている。右ハンドル車で、僅か80台がグレートブリテン島へ上陸した。

スパイダーのシャシー+ジュリアの動力系

一方のアルファ・ロメオも、上級グランドツアラーの可能性を理解していた。ジュリア・スーパーやスパイダー、GTジュニアの上位に据えるモデルを、同社CEOを務めていたジョバンニ・ルラーギ氏は求めた。

1967年のイタリア・トリノ・モーターショーで、ジョバンニはカロッツエリア創業者の息子、カーデザイナーのエリオ・ザガート氏と対面。新しいクーペモデルに対する方向性が決められた。

シルバーのランチア・フルビア・スポルトと、レッドのアルファ・ロメオ・ジュニア・ザガート
シルバーのランチア・フルビア・スポルトと、レッドのアルファ・ロメオ・ジュニア・ザガート

走行性能を可能な限り高めるべく、軽量・高剛性のボディには流線型のスタイリングが与えられることになった。さらに、ピニンファリーナ社によるスパイダーや、ベルトーネ社によるGTジュニアとの充分な差別化が必要とされた。

実際にペンを取ったのはエルコーレ・スパーダ氏。提案されたデザインは、ジュニアという名が不自然なほどアバンギャルドなものだった。

ジュニア・ザガート(Z)はリアが短く切り落とされ、フロントは大胆なウェッジシェイプ。発表された1969年としては、相当にドラマチックな容姿だった。製造工程も複雑で、価格は釣り上がった。

メカニズムは、スパイダーからシャシーを、ジュリアから後輪駆動のドライブトレインを流用している。エンジンはツインカムの1.3L直列4気筒で、ウェーバー・キャブレターが2基載り、最高出力は104psを発揮した。

トランスミッションは5速マニュアル。前後にディスクブレーキが奢られた。

1972年には、フルビア・スポルト 1600へ対抗するように、1.6Lエンジンの1600 ジュニア Zが登場。最高出力は115psへ向上している。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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