野性味濃いV12エンジン ランボルギーニ・エスパーダ アヴェンタドール・ウルティマエ 後編

公開 : 2023.07.15 07:06  更新 : 2023.07.15 08:51

半世紀以上も進化を続けた、ビッザリーニ設計のV12エンジン。それを載せた始期と終期のモデルで、英国編集部が振り返りました。

ミウラから縦置きのカウンタックへ進化

壮観なグランドツアラー、ランボルギーニ・エスパーダは、1968年から1978年まで提供されたが、ラインオフしたのは1227台に過ぎない。初期のランボルギーニが抱えていた弱点は克服されつつ、ブランドらしい強烈な個性を宿している。

しかしエスパーダ以降、フロントにV型12気筒エンジンを搭載したモデルを同社は作っていない。獰猛なオフローダー、LM002を除いて。

ランボルギーニ・アヴェンタドール・ウルティマエ(2022年/欧州仕様)
ランボルギーニ・アヴェンタドール・ウルティマエ(2022年/欧州仕様)

他方、ミドシップのミウラは1974年にカウンタックへ進化。横置きから縦置きへエンジンの搭載方向が改められ、LPの語源にもなった。

プロトタイプが発表されたのは、1971年のスイス・ジュネーブ・モーターショー。LP500を名乗り、当初は5.0LのV12エンジンが載ると主張されていたものの、開発コスト的に許されず、4.0Lユニットが登用された。

量産版のLP500が登場したのは、10年後の1982年。排気量は4754ccを得ていた。

ビッツァリーニ・ユニットで初となる、最大の改良が施されたのは1985年。シリンダー当たりのバルブは4本へ増やされ、排気量は5167ccへ拡大され、カウンタック・クアトロバルボーレに搭載された。最高出力は461psに達した。

ディアブロの登場は1990年。カウンタックの北米仕様に組まれていた燃料噴射システムを、共通してエンジンに採用している。ディアブロ VTでは四輪駆動のシャシーを獲得し、1998年のディアブロ GTでは排気量が6.0Lへ拡大された。

一貫して大排気量・自然吸気が保たれた

それと並行し、ランボルギーニはアウディ傘下へ。新たな資金を活用したムルシエラゴが、2001年に発表される。

排気量は6192ccとなり、当初ジオット・ビッツァリーニ氏が設計した通り、ドライサンプ・システムへ改められた。初期ユニットの量産開始から、50年が過ぎていた。

シルバーのランボルギーニ・エスパーダ S3と、ガンメタリックのランボルギーニ・アヴェンタドール・ウルティマエ
シルバーのランボルギーニ・エスパーダ S3と、ガンメタリックのランボルギーニ・アヴェンタドール・ウルティマエ

2006年に追加されたムルシエラゴ LP640-4では、1960年代では夢のような技術、可変バルブタイミング機構を獲得。排気量は6.5Lへ増やされた。

それ以降、モデル名の数字は排気量由来から最高出力へ変更され、ムルシエラゴ LP670-4では6.5Lのままながら、670psへ増強。半世紀前に基本設計された自然吸気ユニットでありながら、印象的なまでのパフォーマンスが引き出されている。

アヴェンタドールへの交代は2011年。変革を求めていたランボルギーニは、新しいエンジンの開発へ踏み切った。しかし、L539型ユニットは、点火順序こそ異なるものの、多くの特徴を以前から受け継いでいた。

同社の関係者も、現在は派生版だと認めている。フェラーリを含むライバルメーカーがダウンサイジング・ターボ化を進め、ハイブリッド・システムを採用するなかで、一貫して大排気量・自然吸気が保たれてきた。少々、時代錯誤感もあるとはいえ。

初期のビッツァリーニ・ユニットと、このL539型ユニットとの共通点は、4000rpmから7500rpmまでの力強さと、他に例がない咆哮。低回転域でのトルクも潤沢だが、回転数を高めたいという欲求を抑えがたい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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