クセの強い見た目 ランボルギーニ350GT 売れるほど増えた赤字 理想のグランドツアラー(1)

公開 : 2023.12.09 17:45

技術面での保守的な姿勢へ一石を投じた

排気量3497ccから生み出される最高出力は、当初273ps。単体で約232kgのエンジンが組み上がると、1機づつ20時間の回転テストにかけられた。オーバーホールまで約6万4000km耐えられる、耐久性も備わった。

原価と品質を管理するため、多くの主要コンポーネントは自社で生産された。オイルフィルターも、ランボルギーニ独自の専用品だった。

ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)
ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)

とはいえ、5速マニュアルのトランスミッションはZF社製。リミテッドスリップ・デフはソールズベリー社製で、ブレーキディスクはガーリング社製のものが用いられた。

後期型の350GTの一部には、ランボルギーニが開発したマニュアル・トランスミッションが組まれている。これには、リバースにもギアの回転数を調整するシンクロメッシュが備わっていた。進化版の400GT 2+2には、自社製のリアデフも組まれた。

サスペンションは、前後とも先進的だったウィッシュボーンにコイルスプリングという組み合わせ。イタリアのスーパーカー・メーカーでは一般的だった、技術面での保守的な姿勢へ一石を投じた。

1966年に275 GTB/4をリリースするまで、フェラーリは350GTに匹敵するモデルを擁していなかった。マセラティも同様といえた。

プロトタイプの350GTVを経て、改良を受けた350GTは1964年のスイス・ジュネーブ・モーターショーで発表。エレガントな高級グランドツアラーを初めて生産するランボルギーニではあったが、完成度は極めて高かった。

少しクセが強かったトゥーリング社のボディ

ただし、カロッツエリアのトゥーリング社が仕上げたスタイリングは、完璧だったとはいえないかもしれない。ランボルギーニらしさが、まだ表れていなかったともいえる。

細い金属製フレームにボディパネルを貼り付ける特許技術、スーパーレッジェーラ構造のアルミ製ボディは、350GTVの影響を受けつつ、少しクセが強かった。美しいとは素直に表現しにくかった。

ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)
ランボルギーニ350GT(1964〜1967年/欧州仕様)

目標とされた生産数は月産10台だったが、1964年にラインオフしたのは14台。1965年でも、67台に留まった。1967年は4台に過ぎず、最終的に製造されたのは、合計で120台だったといわれている。

完成した350GTは、技術者のボブ・ウォレス氏が1台1台試乗。約320kmの様々なルートで仕上がりが確かめられ、顧客へ届けられた。

4.0Lエンジンへアップデートされた400GTは、1966年に登場。スチール製ボディの400GT 2+2も続き、これらは合計247台が製造された。その後、フェルッチオ自身がスタイリングを手掛けた、まとまりの良いイスレロへ1968年に交代している。

350GTを目前にし、最初に筆者が受けた印象は想像以上の小ささだった。全長は4500mmあるが、全幅は1630mm、全高は1220mmしかない。15インチのボラーニ社製ワイヤーホイールが奥まった位置に履かされ、実際以上に小柄に見える。

この続きは、ランボルギーニ350GT 理想のグランドツアラー(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェイソン・フォン

    Jayson Fong

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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