60周年を迎えたランボルギーニ・ミウラ『公式』ヒストリー(4) 当時は異例の多さだった生産台数

公開 : 2026.03.26 17:25

3月12日、『アウトモビリ・ランボルギーニ、ランボルギーニ・ミウラ誕生60周年の記念すべき節目を祝う』と題したプレスリリースが発行されました。ここでは歴史的資料として、一部編集を加え全文掲載します。その5本中4本目です。

単なるエンジン以上の存在感

ミウラは数え切れないほどの雑誌の表紙を飾るとともに多数の特集記事に登場し、スーパースポーツカーの概念そのものを形成することに貢献しました。それは、ミウラのV12が単なるエンジン以上の存在感を示したためです。

このV12エンジンはランボルギーニというブランドの心臓であり、情熱、革新、そしてパフォーマンスを最も純粋に体現していました。スーパースポーツカーという呼び名にふさわしく、ランボルギーニ・ミウラは妥協のない運転性能を実現するモデルでした。

ミウラが新車当時の、イタリアはサンタアガタ・ボロネーゼにあるランボルギーニ工場。
ミウラが新車当時の、イタリアはサンタアガタ・ボロネーゼにあるランボルギーニ工場。    アウトモビリ・ランボルギーニ

ミウラは、パワーステアリングや電子支援システムがなく、機械からの直接的なフィードバックのみに頼るしかないため、今日でもドライバーは運転時に最大限の集中力を求められますが、それと同時に、ドライバーに純粋で感動的なドライビング体験をもたらします。今日においてもV12エンジンは、基準として十分な馬力と比類のないサウンドを生み出しているのです。

シャシーは、エンジンとサスペンションを密接に接続するスチール製スペースフレームで構成されています。このコンパクトな設計によって、アイコニックなデザインと卓越したロードホールディングを両立しています。

フロントとリアにダブルウィッシュボーンとコイルスプリングを採用することで、当時としてはスポーティかつ堅牢で、正確なハンドリングを実現しました。

763台のランボルギーニ・ミウラを製造

公式記録によると、1966年から1973年の間に、サンタアガタ・ボロネーゼ(イタリア)のランボルギーニ工場にて763台のランボルギーニ・ミウラが製造されました。

最初の量産型ミウラは1966年12月29日にミラノに納車され、初年度には次いで107台が製造されました。1968年までに、ランボルギーニはすでにミウラを平均して週4台近くのペースで184台を販売していました。

ランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)
ランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)    アウトモビリ・ランボルギーニ

これは、当時の高性能なスーパースポーツカーとしては異例の数字でした。量産の開始前に、公式プロトタイプが1台のみ製造されましたが、このような実験的な車両は公式の生産台数には含まれていません。

さらに、米国や中東などの特定市場向けに生産された少数の車両には、技術上または規制上の軽微な変更が加えられ、史料では別個に扱われる場合があります。ランボルギーニはまた、P400とその後続モデルのP400Sの両方の特徴を組み合わせた、最初の過渡期のモデルとしてミウラP400Sも製造しました。

また、少なくとも10台のミウラモデルがワンオフ、特別プロジェクト、またはショーカーとしてカウントされています。最も有名なモデルの1つは、1968年のミウラ・ロードスターです。

記事に関わった人々

  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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