まだまだ頑張る現役総編集長の奮闘録
2025.10.22

【笹本総編集長コラム】アルミ板金の名手、林容市さんが亡くなりました
ペブルビーチでの輝かしいステージ

レストアが完成してからは、様々なイベントに参加したが、最高のステージは、ポルシェイヤーであった1998年のラグナセカのヒストリックカー・レースとペブルビーチのコンクール・デレガンスに参加したことである。
この年はなぜか、たった20台しか作られなかったカレラ・アバルトが世界中から大挙して6台も集まり、しかも、パドックに並んだそれぞれを観察すると、1台として同じボディラインがないというほどで、如何にもイタリアの小さなカロッツェリアが叩いたクルマらしい様相であった。
私が、土曜日午後の決勝の際に、スターティング・グリッドに着く準備をしていると、髭面の紳士が来て、「このクルマを明日、ペブルビーチのコンクール・デレガンスに持ってきてくれないか?」と突然言われた。
どうやら、毎年、ラグナセカのコースから5台だけ、『From the track』というテーマでコンクールに参加することができ、その1台に選ばれたという事であった。無論、二つ返事で引き受けたことは言うまでもない。あまりの嬉しさに決勝レースでは大事を取ってアクセルペダルを緩めてしまったのはご愛敬である。
その日の夜はみんなでカレラ・アバルトを磨き上げ、翌日はペブルビーチで1日を過ごした。あの輝かしいステージに登ったのも、今となっては良い思い出である。
帰国して、林さんに事の詳細を伝えると、こんな笑顔は見たことがないと思うほど、物凄く喜んでくれた。並み居る名車の中で、彼の鈑金の技術が世界レベルで認められたのだから、喜ぶのも当然だが、我々も、改めて彼の技術力の高さに感動したのである。
偉大な鈑金職人の喪失

その後、奥様と手を携えて、三島に再び『ピットーレはやし』を構えて、多くのクライアントからの仕事を精力的にこなしていた。
私も貰い事故にあったフェラーリ275GTBの修正や、ポルシェ356のちょっとした鈑金などをお願いしていたが、まさか、このような知らせがくるとは思わず、驚くと同時に残念な気持ちでいっぱいである。
林さんを失うことは、日本の鈑金界にとって、大変大きな損失であり、私個人にとっても今後頼るところがなくなってしまった喪失感で呆然としている。
改めて、林さんの偉大な足跡を思い起こすとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。















