まだまだ頑張る現役総編集長の奮闘録

2025.10.22

今回の笹本総編集長コラムは、今年の6月3日に永眠された鈑金職人の林容市さんの思い出を語ります。アルミボディ鈑金の第一人者として知られる林さんは、総編集長が所有したアバルト・モノミッレやポルシェ・カレラ・アバルトなどのフルレストアを手掛けられました。

【笹本総編集長コラム】アルミ板金の名手、林容市さんが亡くなりました

もくじ

一流の職人がまた1人、旅立ちました
始まりはモノミッレのフルレストア
最高のチームで挑んだカレラ・アバルト
ペブルビーチでの輝かしいステージ
偉大な鈑金職人の喪失

一流の職人がまた1人、旅立ちました

1987年に輸入したフィアット・アバルト・モノミッレのレストア作業中の1カット。1枚のアルミ板から叩き出したボディパネルを当てがい、形状やフィッティングを確認している林さん。

このところ、それぞれの分野でクルマの世界を極めようとしてきた、超一流の仲間の悲報が相次いでいて残念でならない。

私が駆け出しの頃から、折に触れてレストアや鈑金をお願いしていた、林容市さんもその1人で、まだ30代の頃、埼玉の新座で鈑金工場『ピットーレハヤシ』をオープンした。

国内では珍しく、アルミを叩ける職人がいる、という話を聞いた私は、さっそく取材に伺い、お付き合いが始まったのである。

口数は少なく、物静かで優しい人だなあというのが、林さんの第一印象であったが、クルマを見る観察力は秀でていて、特にイタリア車のボディを見るときの眼付きは、いつもとがらりと変わった鋭さで、これぞプロと感じたものである。

始まりはモノミッレのフルレストア

2年近い作業期間を経てレストアが完成したフィアット・アバルト・モノミッレ。

最初に仕事をお願いしたのは、1987年にLAから輸入したフィアット・アバルト・モノミッレであったと記憶している。このクルマは、ボディコンデションはそれほど良くはなかったものの、シャシーナンバーもしっかりしていたので、フルレストアして仕上げることを前提で輸入した。

しかし、実際にイエローの塗装をはがしてみると、なかなか悲惨で、特にフロントカウル部分はFRPで作り変えられていた。こんな状態だから、各部も想像以上に傷んでおり、結果的にほぼボディを新製するほどのレストアとなってしまった。

この一連の作業のレポートは約2年間にわたってカー・マガジンで連載し、めでたくロッソコルサの塗装で蘇って、レポートの締め括りのインプレッションを行ったのを記憶している。この連載で、林さんのアルミ鈑金の技術力の素晴らしさは国内に知れ渡ったのではないかと思う。

最高のチームで挑んだカレラ・アバルト

笹本編集長にとって最高のチームでレストアを完成させたポルシェ・カレラ・アバルトGTL。ポルシェ356Bをベースに、レースでの戦闘力を高めるためにカルロ・アバルトのディレクションのもと、スカリオーネ製の軽量ボディを纏い、DOHCヘッドを搭載したモデル。

その後、裾野にある『富士高原ガレージ』の工場長に就任した頃には、フェラーリ500TRのフロントフード周りの修正をお願いしたが、更に、最も大きな功績は、松田芳穂さんから譲っていただいたポルシェ・カレラ・アバルトのフルレストアをお願いしたことであろう。

このクルマは、国内に入ってから動かした形跡はなく、4カムエンジンも全てやり直すことが必要であったが、アルミボディのレストアを林さん、複雑な4カムエンジンのオーバーホールを圓岡興司さんにお願いするという、私にとって最高のチームでのレストレーションとなった。

この作業にはやはり、丸2年間を擁し、その途中で、ドンガラ状態のまま、ポルシェ356ホリディに出展したのも懐かしい思い出だ。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    笹本健次

    Kenji Sasamoto

    1949年生まれ。趣味の出版社ネコ・パブリッシングのファウンダー。2011年9月よりAUTOCAR JAPANの編集長、2024年8月より総編集長を務める。出版業界での長期にわたる豊富な経験を持ち、得意とする分野も自動車のみならず鉄道、モーターサイクルなど多岐にわたる。フェラーリ、ポルシェのファナティックとしても有名。

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