コルベットのV8+ジウジアーロの容姿 イソ・グリフォ(1) シャシーはビッツァリーニ

公開 : 2025.01.26 17:45

ビッツァリーニとの渡りに船の出会い

1960年代を迎える頃には、速いクルマの提供をリヴォルタは考え初めていた。そこで出会ったのが、エンツォ・フェラーリ氏との対立で1961年に解雇された、技術者のジオット・ビッツァリーニ氏。まさに、渡りに船の出会いだった。

最初に開発されたのが、1962年のイソ・リヴォルタIR 300。コルベット用の5.4L V8エンジンをフロントに搭載し、均整の取れた凸型シルエットを持つ4シーター・グランドツアラーだ。

イソ・グリフォ GL(1965〜1974年/英国仕様)
イソ・グリフォ GL(1965〜1974年/英国仕様)

ルーフラインが滑らかに傾斜した、ファストバックのグリフォ A3Lの登場は1965年。ホイールベースは短く、全高は低く、出色の動的能力でブランドの評価を大きく高めた。

英国価格は、1966年6月で5950ポンド。同時期のマセラティ・ミストラルより300ポンド、アストン マーティンDB6より1000ポンドも高かった。フェラーリ275 GTBより23ポンド安いだけで、ジャガーとは異なる上級指向が狙われていた。

グリフォの価格設定は、野心的なものといえた。マセラティやフェラーリのボンネットを開けば、カムシャフトがヘッドに並んだ、純血統の高性能ユニットが姿を表す。だがグリフォに載っていたのは、大衆的なプッシュロッド式ユニットなのだから。

ちなみに、この頃の英国にはゴードン・キーブルというメーカーが存在した。同社も、コルベット由来のV8エンジンをフロントに載せた、イタリアンな見た目の上級グランドツアラーを開発している。

価格は、グリフォより約2000ポンドも安かった。しかし販売は振るわず、1966年に廃業している。

深刻な腐食で放置されていたグリフォ

イソは、欧州全土に販売網を展開。ジウジアーロによる美しいスタイリングが、強い訴求力を生んだ。販売は順調で、途中にアップデートを挟み、毎週1台のペースで9年間も提供されている。

シリーズ合計での生産数は、414台。右ハンドル車は31台が作られ、今回のブルー・グリーンの1台も、そこに含まれる。1966年6月10日にラインオフし、5日後にグレートブリテン島へ上陸しているが、所有者の履歴などは不明だそうだ。

レストアを受ける前のイソ・グリフォ GLの姿
レストアを受ける前のイソ・グリフォ GLの姿

現オーナーのウォルファーズは、イソの技術者の手で1967年に355psへアップグレードされたと考えている。それから空白の約10年間を置いて、超音速旅客機だったコンコルドのパイロットを勤めた、ビル・ディック氏が購入している。

ウォルファーズが発見したのは1986年。「今振り返ると、仕様にコダワリすぎていたかもしれません。355psの5速マニュアルが欲しかったんです。これは、その条件を満たしていました」

ディックがオーナーの時期に、クラッチ交換でエンジンとトランスミッションが降ろされるが、構造部分へ深刻な腐食が見つかり放置された。盗難未遂に会い、サイドウインドウとステアリング・ロックが破壊されていた。給油口は変形していた。

そのかわり、5000ポンドが提示額だった。当時の相場は9000ポンド前後で、半額に近かった。ウォルファーズはその頃、手入れが必要な古い倉庫を購入しており、保管場所に困ることはなかった。

この続きは、イソ・グリフォ(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ナイジェル・ブースマン

    Nigel Boothman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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