【日本自動車史上最大級のドタバタ劇】ホンダ・日産の経営統合白紙撤退!正式発表の場で感じたこと

公開 : 2025.02.14 08:25

2月13日、日産自動車、本田技研工業の両社は昨年12月23日に締結した『両社の経営統合に向けた検討に関する基本合意書』を解約、経営統合に関する協議、検討を終了すると発表しました。両社の動きを取材した、桃田健史がレポートします。

「国の関与があったことは一切ございません」

「あの話は、無かったことで……」。そんな感じで、日本自動車史上最大級のドタバタ劇は幕を閉じた。

2025年2月13日の夕方、JR横浜駅にほど近い日産グローバル本社のギャラリーが見える渡り廊下に、報道関係者が詰めかけた。17時45分から始まる、日産の第3四半期決算報告、及び『日産とホンダとの経営統合に向けた検討に関する基本合意書の解約』に関する説明会を待っていたのだ。

2月13日夕方、日産は第3四半期決算を発表。その冒頭で今回の解約についてコメントする内田誠社長兼CEO。
2月13日夕方、日産は第3四半期決算を発表。その冒頭で今回の解約についてコメントする内田誠社長兼CEO。    平井大介

開場は17時からなのだが、その前にホンダも第3四半期決算についてオンライン会見を開いており、それが終了した16時50分から三部敏宏社長が『経営統合』の件でオンライン会見を開くという、報道陣にとってはタイトなスケジュールとなった。

筆者は、日産会見の列に並びながらスマートフォンでオンライン会議システムを通じて会見を聞き始め、日産社内の会見開場に移動した直後、質疑応答の場面で三部社長に次のように質問した。

「国の関与についてお聞きします。経営統合の協議開始、またその撤回において、国の関与は本当になかったのでしょうか? 一部では実しやかに国の関与について報じられていますが?」

これに対して三部社長は「国の関与があったことは一切ございません」とキッパリ否定した。あくまでも、ホンダと日産の経営トップの話し合いが起点であるとした。つまり、経営統合の協議を白紙撤退したのも、ホンダと日産の今後の経営のあり方が合致しなかったことを指す。

では、なぜ2社の経営統合は上手く進まなかったのだろうか?

完全子会社化という選択肢が受け入れられなかった

一部報道では、ホンダと日産の経営統合が破断になった理由が、ホンダが日産に対して当初は計画されていなかった『ホンダが日産を完全子会社化する』という提案を日産に持ち込み、これに日産が反発したからだとされた。

ホンダの三部社長、さらに日産の内田誠社長のおふたりの話を聞くと、大まかには報道にあったような流れを認めた。ただし、詳細は違うようだ。

日産に先駆けてオンラインで会見を行った本田技研工業の三部敏宏社長(会見のYouTubeより)。
日産に先駆けてオンラインで会見を行った本田技研工業の三部敏宏社長(会見のYouTubeより)。

まず、日産がホンダ主導での経営統合の流れに対して反発した、とは言えない。そもそも昨年12月23日に報道陣向けに明らかにした『経営統合に向けた基本合意書』では、ホンダと日産が共同持株会社を設立する際、その代表者と役員の過半数をホンダが担うことで、日産は合意しているからだ。

その上で、内田社長は、完全子会社化の話がホンダ側から示された時期については明確な答えはなかったが、その際には「それで上手くいくのか? スピーディに事を進めるのは分かるが……」と個人的に疑問を持ったことを認めた。

経営メンバーや取締役会で何度も『完全子会社化の提案』について議論した結果、「日産としての独自性を維持することが難しいこと」などを理由に、経営統合に向けた協議を進めることを諦める旨、ホンダに伝えたという。

一部では、日産のプライドを傷つけたという報道があるが、それについて内田社長は否定した。ただし、社内の議論の中で「伝統ある日産が……」という話が出たことは認めた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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