シナトラにサミー・デイビス Jr.も購入? 6.4mのシューティングブレーク ムリーナ429GT(1)

公開 : 2025.04.18 18:05

ベース車両はフォード・サンダーバード

シュウェンドラーと温めた考えを、フォスは大まかにライスナーへ伝えた。実現する方法は、インターメカニカの技術者へ一任された。

ライスナーは、飛び込みでやってきたスキーヤーへ2台だけ作るより、10台程度まとめて生産した方が合理的だと判断した。より多い数が売れた方が、1台当たりの価格を抑えられ、投資費用も回収しやすいからだ。

ムリーナ429GT(1969〜1970年/北米仕様)
ムリーナ429GT(1969〜1970年/北米仕様)    リチャード・ヘーゼルタイン(Richard Heseltine)

ゼロからの開発には膨大な費用が必要なため、ベース車両に選ばれたのは、フォード・サンダーバード。スタイリングは、ベルトーネに在籍した経験を持つ、フランコ・スカリオーネ氏へ託された。

彼は、アルファ・ロメオBATからランボルギーニ350 GTVまで手掛けた、フィレンツェ出身の才能溢れるカーデザイナー。その時点では独立しており、インターメカニカとは複数のプロジェクトを通じ密接な関係性を築き、株主にもなっていた。

他社の仕事も引き受けていたが、専らインターメカニカのために働いていたようなものだった。サンダーバードというボディをキャンバスに、余り実用的には見えない、2ドアのシューティングブレークは描き出された。

だが実際は、スカリオーネの友人、イヴォ・バリソン氏の作品だと考えられている。名の知られていないデザイナーだが、コーチビルダーのヴィニャーレ社やフランシス・ロンバルディ社などと仕事をしており、彼のサインが入ったスケッチが残されている。

フランク・シナトラとサミー・デイビスJr.も購入?

ムリーナ429GTのプロトタイプが完成したのは、1969年。ニューヨーク・モーターショーで華々しく発表されると、シュウェンドラーとフォスは量産する計画も明らかにした。閉幕までに、約200台の申し込みがあったようだ。

しかし1970年9月のロード&トラック誌によると、最終的には38台へ減少したらしい。予定価格は1万4950ドルで、当時のシボレーコルベット2台以上。法外なほど高額だったことは間違いなく、その後、注文が大きく増えることはなかった。

ムリーナ429GT(1969〜1970年/北米仕様)
ムリーナ429GT(1969〜1970年/北米仕様)    リチャード・ヘーゼルタイン(Richard Heseltine)

それでも、429GTには錚々たるセレブリティが惹きつけられた。エルビス・プレスリー氏は、2台も購入したといわれている。当時のディーラーの話では、フランク・シナトラ氏とサミー・デイビス・ジュニア氏も、1台づつ注文したとか。

明らかな事実は、ロックバンドのアイアン・バタフライのメンバーの1人が、ビバリーヒルズの代理店で1台を購入したこと。そのメンバーは、乗り始めてすぐに大破させ、直後にもう1台を買い直している。

フォードの社長へ就任したリー・アイアコッカ氏も、巨大なシューティングブレークへ惹かれ、評価のためにしばらく借りていたらしい。ランニングギアの提供にも同意し、429GTがアメリカの公道を走れる認証取得へ協力もしている。

この続きは、ムリーナ429GT(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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