ロールス・ロイス・ファントムの100年を振り返るアートワークとエピソード
公開 : 2025.05.12 08:05
王室や外交官の公用車としてのファントム
ファントムはまた、王室の公用車としても誇り高く仕えてきた。中でも特筆すべきはロールス・ロイスの本拠地である英国王室との深い関わりである。
1948年、エディンバラ公爵はエリザベス王女殿下との結婚直後、夫婦での使用を目的としてロールス・ロイスに1台のファントムの製作を依頼した。『ナーバーのマハラジャ』のコードネームで呼ばれたこの個体は、最初のファントムIVとなった。

この1台は、ロールス・ロイスと英国王室の長年にわたる関係の重要な節目を示すものとなった。
英国王室はこの後、さらに英国王の移動手段として、ロールス・ロイスにファントムVI、そして2台のファントムV、さらには2台のファントムVIの製作を依頼した。
なかでも1977年にエリザベス2世陛下の即位25周年を祝して、英国の自動車業界から贈られた『シルバー・ジュビリー・ファントムVI』は最も長く仕えた車両の1つとして知られている。
また、大陸を超えた地では、ある国家の誕生に重要な役割を果たした1台のファントムVがある。
1966年にアラブ首長国連邦の建国の父と言われるザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン閣下に納車されたこのファントムVは、彼のアブダビ首長への就任式に参列した。
そして1971年にはアラブ首長国連邦の公式設立式にて、初代の駐アラブ首長国連邦英国大使である、ジェームズ・トレッドウェル大使を式典会場へと送り届けたエピソードを持つ。
ファントムはまた、世界各国で活躍する英国外交官たちにとっても、ソフトパワーを象徴する外交ツールとして積極的に用いられた。
パリ駐在英国大使を務めたジョン・フレットウェル卿は、かつてタイムズ紙に次のように語った。「エリゼ宮訪問の際、私のロールス・ロイスは大いに役立ちました。門に立つ警備員にも、私が英国大使であることに気が付いてもらえるはずですから。」
世界の舞台を渡り歩くときも、母国で静かにオーナーに仕えているときも、ファントムは常に堂々たる存在であり続けている。
1959年に登場したファントムVは全長5.8mにもおよぶ巨躯を誇り、一部の歴史学者は『英国の駐車メーターの間隔は、この車両の寸法に合わせて見直された』という見解を示している。
ミュージック・スターが愛したファントム
全てのファントムが王室や外交儀礼のための公用車としてつくられたわけではない。
1964年12月にジョン・レノンは、ビートルズのアルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』の成功を祝して、自身のファントムVの製作を依頼した。

内外装を全てブラックとしたレノンのファントムはまた、英国で初めてブラック・スモーク仕様のガラス・ウインドウが採用された車両でもある。1965年にローリング・ストーン誌でレノンはこのように語っている。「日中に家に帰るときでも車内はまだ真っ黒だ。窓を全て閉めれば、まだクラブの中にいる感じさ。」
このファントムは1967年に『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のリリースを前に現在知られる鮮やかな黄色に塗り替えられ、渦巻く花や星座のモチーフで彩られ、同年に起こったムーブメント『サマー・オブ・ラブ』の象徴的存在となった。
レノンは後年、激怒したイギリス人女性から「ロールス・ロイスにこんなことをするなんて!」と傘で攻撃されたと語っているが、この出来事はレノンのファントムの伝説をさらに高めることとなった。
『キング・オブ・ロックンロール』ことエルヴィス・プレスリーもまた、ロールス・ロイスのオーナーであった。
彼が1963年に購入したファントムVには、ビスポーク仕様のマイクや、後部座席アームレストに組み込まれた執筆スペースなどが備えられていた。
購入当初は『ミッドナイト・ブルー』の鏡面仕上げとされていたが、彼の母親が飼っていたニワトリたちが鏡面に映る自分たちの姿を攻撃したことで塗装が傷んでしまい、後にキズが目立たないシルバー・ブルーへと塗り替えられている。
1968年にはエルヴィスはこの愛車をチャリティのために寄贈し、これを受けてレナード・コーエンとウォズ(ノット・ウォズ)による楽曲『エルヴィスのロールス・ロイス』が生み出された。
































































