【映画人の愛したリムジン】ロールス・ロイス・ファントムV 当時最高峰の走るオフィス 前編

公開 : 2021.10.10 11:45  更新 : 2021.10.11 17:44

ジェームズ・ボンドのディレクターズ・カーとして、多くの俳優や著名人を乗せてきたファントムV。英国編集部が、類を見ない経歴のリムジンご紹介します。

オーナーは映画007の共同プロデューサー

執筆:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
撮影:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
初期の映画007シリーズ、9本の共同プロデューサーを務めた、カナダ生まれのハリー・サルツマン。その殆どが、ジェームズ・ボンドを確固たるものとした、名作ばかりだ。

せっかちで気難しい性格だったというサルツマンだが、映画界で成功した大物らしく、前例にないほど華やかな人生を謳歌した。映画史で最も成功したシリーズ作品の共同プロデューサーなのだから、当然かもしれない。

 ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)
ロールス・ロイスファントムV(1965年/英国仕様)

007シリーズにサルツマンとアルバート・ブロッコリの2人が関わったのは、1962年から1974年。その期間でジェームズ・ボンド・マニアが最も評価する年といえば、1965年になるだろう。

「007サンダーボール作戦」は1965年に公開され、「007ゴールドフィンガー」を超える興行収入を獲得。すでに裕福な暮らしのサルツマンだったが、彼と家族が、さらに豊かになることを否定するものは何もなかった。

英国パインウッド・スタジオから遠くないデナムの町にスイミングプール付きの大豪邸、デナム・プレイスを構え、当たり前のようにガレージに収められたのは大きなロールス・ロイスだ。

もちろん、クラウドIIIやシルバーシャドウといった既成モデルではない。フルサイズのオーダーメイド、ファントムV リムジンだった。

シルバークラウドのシャシーをベースに、ホイールベースを延長。エンジンは6230ccの排気量を持つ、アルミ・ブロックのV型8気筒が搭載された。

クイーンやジョン・レノンも選んだモデル

シルバークラウドと並んでファントムVが発表されたのは、1959年。それまでのロールス・ロイスで最上級に鎮座していた、フォーマルなシルバーレイスの後継モデルとして登場したリムジンで、アルミ製ボディの全長は6m以上ある。

1956年までは、ロイヤル・ファミリーや首脳クラスのみが乗ることを許された、ロールス・ロイス・ファントムIVが存在していた。しかしロールス・ロイスは、ファントムVを裕福な一般人にも販売することを決めた。

 ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)
ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)

成功者の印として、これ以上のモデルは当時は存在しなかった。同等に並べるモデルすら、ほぼ見当たらなかったといっていい。ロックスターのクイーンやジョン・レノン、財界の著名人も愛車に選んだ。サルツマンが欲しても、不思議ではない。

原作の007では、ジェームズ・ボンドはロールス・ロイスと良好な関係を築いていた。小説家のイアン・フレミングは上級ブランドとしての神秘的な魅力を理解し、スリリングでラグジュアリーな雰囲気を醸し出すため、しばしば登場させている。

当時の英国には、戦後の緊縮的な雰囲気が残っていた。華やかなロールス・ロイスは、理解しやすい例にもなった。

活字の中のジェームズ・ボンドがドライブしたのは、ベントレー。秘密情報部、MI6の部長とされた謎のMが所有したのが、ロールス・ロイス・レイスだった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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