インタビュー 「のるか、そるか」 80歳、ダラーラ創設者の「決意」

公開 : 2017.12.09 11:40  更新 : 2018.03.23 21:15

ダラーラを語るうえで欠かせない3台

ランボルギーニ・ミウラ(1966年)

1963年から69年にかけてランボルギーニで働いていたダラーラは、パオロ・スタンツァーニ、デザイナーのマルチェロ・ガンディーニとともに、ミウラとその革新的なミドエンジン・レイアウト開発の立役者になった。

「ある意味、それは簡単な選択でした」と彼は言う。

「なぜなら、レーシングカーではエンジン位置はもはやフロントではなくリアだったからです。フォードはすでにGT40を走らせていて、そのポテンシャルの高さは明らかでした。そして、ランボルギーニは常にフェラーリより進んだクルマを欲しがっていたのです」

ダラーラF393 フォーミュラ3 レーシングカー(1993年)

多数の超一流のレーシング・プロジェクトにかかわってきたにも拘らず、ジャン・パオロ・ダラーラはもっとも満足できるのは地味なF3シャシーだという。

各国の選手権ではほぼ独占状態になっているが、1993年のF393 が突破口だった。

「当時、イタリアとフランスでは優勝していましたが、英国ではまだでした」と彼は言う。「でもこのクルマで勝ち続けていけるようになり、いいクルマを作れたという自信を持つことができたんです」

ダラーラ・ストラダーレ(2017年)

自動車会社ダラーラの幹部は、もし600台のストラダーレが全部売れたとしても、収支はようやくトントンだと認めている。これは金を稼ぐためのクルマではなく、会社のプライドと技術力をアピールするためのクルマなのだ。

「ほかのクルマとの比較でわれわれのクルマを評価したりすることはあまりないのですが」とダラーラは言う。「空力特性はとてもいいし公道での振る舞いも最高です。運転しやすいし、挙動も予測しやすい。このクルマと開発チームは、わたしの誇りです」

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