【60年ぶりに姿を現したクーペ】タルボT26グランドスポーツ チェコで復活 前編

公開 : 2020.02.22 07:20  更新 : 2020.12.08 10:55

アメリカにひっそりと隠れていたのは、ジッパーキングがオーダーした、1949年製のタルボ・ラーゴT26グランドスポーツ。発見後にチェコ人によって丁寧なレストアが施されると、大西洋間で大きな話題を呼ぶクラシックとなりました。

有数の高性能モデルを生み出していた

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
第2次世界大戦が終了した頃、フランスのタルボ・ラーゴは世界でも有数の高性能モデルを生み出していた自動車メーカーの1つだった。その最たるモデルの1つがT26グランドスポーツだろう。

フロントには排気量4.5Lの直列6気筒。グランプリ・チームに好まれ、ル・マンでの勝利を獲得するのに充分な性能を誇った。エンジンはツインカムに改良を受け、ブレーキは油圧システムに更新されていたが、ボディは戦前のデザインへ手直しを加えたものだ。

タルボ・ラーゴT26グランドスポーツ・クーペ(1949年)
タルボ・ラーゴT26グランドスポーツ・クーペ(1949年)

作られたのはわずか29台。シャシーはフランスでも最も優れたコーチビルダーへ納入されたが、まだ戦後の経済は厳しく、経営に苦労していた。高級車に対し多額の課税を決定した政府によって、フランスの崇高なコーチビルド文化は徐々に廃れていくことになる。

コーチビルダーの1つ、フィゴーニ・エ・ファラッシ社がボディを製造したグランドスポーツは1台のみ。洋服についているジッパー(ファスナー)の製造で成功を収めた、ムッシュ・ファヨールが指定した職人集団だ。

イタリア生まれのジュゼッペ・フィゴーニとオウィデオ・ファラッシが創業したコーチビルダーで、1930年代には優雅なオーダーメード・ボディの製造で広く知られる存在となっていた。フランス自動車メーカー、ドライエのクルマも多く手掛けている。

才能あふれるフィゴーニのスタイリング

フィゴーニは第2次世界大戦後も、フルサイズ・モデルを職人が叩く前に、クレイモデル(工業粘土のスケールモデル)を自らスタイリングし続けていた。50才を過ぎて全盛期は終わったとの声もあったが、1949年のパリ・サロンに出展したグランドスポーツ・クーペはグランプリ・エレガンス・エド・コンフォートを獲得。彼の才能を裏付けた。

ジッパーキングことファヨールが、グランドスポーツのスタイリングにどれだけ口出しをしたのかは不明だが、フィゴーニが手腕を奮ったという評価がもっぱらだ。ファヨールの業績を称えるため、フロントグリルの上にジッパーをモチーフにしたクロームメッキのトリムを思いついたのが誰かわかっていない。

タルボ・ラーゴT26グランドスポーツ・クーペ(1949年)
タルボ・ラーゴT26グランドスポーツ・クーペ(1949年)

それでも、全体的なスタイリングは、フィゴーニらしい大胆な特徴が表れている。ティアドロップ形状のサイド・ウインドウなどは特に。

伝統的なコーチビルダーはどこもそうだったが、フィゴーニもフェンダーとボンネットが滑らかにつながるポンツーン・ボディの流行と対峙した。彼はそこへ、大胆なディテールを与え、華やかに仕上げている。

ファストバックのボディラインを強調するように、サイドシルからリアフェンダー後端へと伸びるクロームのトリムが豪華。フロントは、1灯のヘッドライトが垂れ下がったグリルの両端に付く2灯のスポットライトと呼応する。

全体的に水のような質感を感じさせるフロント周りだが、フランスの雑誌はサメと表現した。フィゴーニはこのフロントノーズのデザインを、様々なシムカにも与えている。

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