開きそうで開かないリアガラス(2) 売れる見込みなし?のガンマ シルエット裏切るプリンセス

公開 : 2025.12.14 17:50

今では当たり前の大きなテールゲート ハッチバック台頭に反して、ボディへ固定されたリアウインドウ シトロエンGSにプジョー104、ランチア・ガンマまで 翻弄された10台をUK編集部がご紹介

フィアット127(1971〜1983年)

当時のフィアットは、新しいアイデアを姉妹ブランドのアウトビアンキで試す傾向があった。そのため、1964年に発売されたアウトビアンキ・プリムラは先進的な前輪駆動で、テールゲートのオプションが設定されていた。

フィアットが127を投入したのは1971年。パッケージングに優れ、モーリス・ミニとともに市場を拡大。フォルクスワーゲン・ポロルノー5の登場にも貢献した。テールゲートが与えられたのは、発売から1年後。2ドアモデルも、最終年式まで提供は続いた。

フィアット127(1971〜1983年)
フィアット127(1971〜1983年)

マニアな小ネタ:スペインでは、セアトが3ドアと5ドアで127を製造している。

プジョー104(1972〜1988年)

プジョーの歴史から忘れ去られた存在といえる、1972年の小さな104。それでも、洗練されたスタイリングで一定の支持を集め、シトロエン・ビザやタルボ・サンバなどへ派生。1988年まで生産は続いている。

保守的だったプジョーの社風が反映し、発売当初はテールゲートが備わらず、最終的に得たのは4年後。だがそれより先、1973年には3ドアの104 クーペが登場している。これは1983年に発売される、205の魅力を先取りしたようなモデルといえた。

プジョー104(1972〜1988年)
プジョー104(1972〜1988年)

マニアな小ネタ:スタイリングは、ピニンファリーナ社のパオロ・マルティン氏だ。

ランチア・ベータ(1972〜1984年)

プレミアムブランドだったランチアがテールゲートを採用することに、親会社のフィアットは難色を示していたらしい。それでも1975年、ベータ・クーペのアップデート版としてベータ HPEが投入され、大きな3枚目のドアを獲得している。

他方、サルーンのベータ・ベルリーナは、シルエットとは裏腹に4ドアが貫かれた。後にピニンファリーナ社の協力を得た、凸型ボディのトレヴィも登場している。

ランチア・ベータ(1972〜1984年)
ランチア・ベータ(1972〜1984年)

マニアな小ネタ:1969年にフィアットがランチアを買収した際、新モデルの計画は1台もなかったとか。ベータは、2年の開発期間を経て生み出された。

プリンセス1800/2200(1975〜1981年)

当初はオースチン、モーリス、ウーズレーの3ブランドから提供された1800や2200だったが、親会社のブリティッシュ・レイランドの判断で、発売直後にプリンセス・ブランドへ統合。モダンなウェッジシェイプのボディをまとい、広い車内を実現していた。

しかし、シルエットへ反してテールゲートはなく、小さなトランクリッドが開くだけ。太いリアピラーが邪魔をし、後方視界は優れなかった。5ドアのオースチン・マキシを、当時の営業マンが推したことは想像に難くない。

プリンセス1800/2200(1975〜1981年)
プリンセス1800/2200(1975〜1981年)

マニアな小ネタ:1982年に5ドアのアンバサダーへアップデートされるものの、遅きに喫した。生産は18か月で終えている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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