【元祖スーパーSUV】 ランボルギーニLM002 カウンタックのV12に四輪駆動 前編

公開 : 2020.10.11 07:20  更新 : 2020.12.08 08:38

これまでのランボルギーニで、最もエキサイティングで必要とされなかったモデル。それこそ、魅惑的ながら運転も維持も難しいLM002です。スーパーSUVの元祖ともいえそうな貴重なワイルド・ブルを、ご紹介しましょう。

最も過激ながら、必要とされなかったモデル

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

  
スーパーSUVと呼ばれる高性能オフローダーほど、自動車業界への影響力が大きい新ジャンルはないだろう。クルマの話題より投資の話題を好む、富裕層が乗る学校への送り迎え用のクルマだ。

ポルシェカイエンは、シュツットガルトの稼ぎ頭となった。ベントレーからはベンテイガが登場し、ロールス・ロイスからはカリナンが、アストン マーティンはDBXをリリースした。ランボルギーニも、ウルスでこの市場に乗り込んでいる。

ランボルギーニLM002(1982年〜1992年)
ランボルギーニLM002(1982年〜1992年)

ランボルギーニ・ウルスのウェッジシェイプなボディの内側には、アウディQ7と共有の構造が隠れている。オフローダーのカタチをしたスーパーカーとして期待するほど、実はエキゾチックではない。

そもそもランボルギーニの原点は、実用的な働くクルマだったことを考えると、スーパーSUVのリリースにもうなずける。トラクターの製造でスタートしたことは、ご存知の読者も多いだろう。

そんなブランドの歴史を振り返えると、最も過激ながら、必要とされなかったモデルが含まれている。古いモデルの魅力には、欠くことのないランボルギーニ。その中でもLM002ほど、今の時代に注目したいと思えるクルマはない。

スーパーカーを生み出すブランドが、オフローダーの製造に踏み出した経緯は、1970年代半ばまでさかのぼる。きっかけはアメリカの企業、モビリティ・テクノロジー・インターナショナル(MTI)社との共同プロジェクトだった。

ランボルギーニ・ミリタリア

アメリカ政府が求めた、全地形対応型の車両製造に対する権利を狙った、数少ない企業の1つだ。ジープに変わる、新しいモデルで応えようとした。

MTIのアイデアは、カリフォルニアにあったランボルギーニの拠点で具現化された。ワイルドな4シーターのオフローダーで、リアには5.9Lのクライスラー製V8エンジンが搭載された。後に、チーターと呼ばれるモデルだ。

ランボルギーニLM002(1982年〜1992年)
ランボルギーニLM002(1982年〜1992年)

しかし、落札には至らず。ランボルギーニも自動車メーカーだから、開発費用の損失を減らす努力に迫られる。特に、当時の不安定な財政状態を考えれば、当然だろう。

そこでランボルギーニが取った方策は、チーターを量産すること。裕福な若者やアラブの族長などに、経営のバランスシートを部分的に改善してもらおうと考えた。

ジュネーブ・モーターショーで、チーターが発表されてから4年後。フランス人投資家のパトリック・ミムランの資金援助を受け、1981年のスイスにLM001が姿を表した。LMは、ランボルギーニ・ミリタリアの頭文字から来ている。

LM001では、V8エンジンはAMC製へスイッチ。チーターと同じくリアエンジン・レイアウトを採用し、加速やオフロード走行では、不安定なハンドリングが課題となっていた。結果的に、1台しか作られていない。

1年後、ランボルギーニはジュネーブ・モーターショーへ、新しいプロトタイプを用意する。それまでと最大の違いは、エンジンがフロントに搭載されていたこと。しかもランボルギーニ製のV型12気筒が選ばれた。

プロトタイプの名前には、Aが追加され、LMAを名乗った。

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