【日産ノート特大ホームラン】ヒットを支えた影の功労者とは? 常識くつがえす売れ行き 多くの要因が交差

公開 : 2020.11.24 18:27  更新 : 2021.10.09 23:42

日産ノートは2018年暦年の車名別年間販売台数1位に。現行型デビューから5年目の記録達成は、「新車効果」の常識を吹き飛ばす快挙でした。理由を探ります。

日産ノートの売れ行き「常識外れ」

text:Kenichi Suzuki(鈴木ケンイチ)

自動車業界には「新車効果」という言葉がある。

これは、「どんなクルマも新車が出た直後が一番数多く売れる」のが常識であり、何世代も続くモデルであれば、「新世代の新車が出ることで販売台数を伸ばす」ことを指す。

神村 聖

裏を返せば、新車登場から時間が経てば売れ行きは鈍ることでもある。

ところが現行型の日産ノートの歴史は、そんな常識を覆すものであった。まずは、その歴史を振り返ってみたい。

現行モデルの登場は2012年8月。確かに2012年後半と2013年は売れた。

2013年は通年で約14万8000台を売り、通称名別ランキングで年間4位につけた。

ところが、その後の売れ行きは年間10万台前後に低迷する。まさに新車効果が切れた格好だ。しかし、驚くのはその後である。

ノートは2016年11月に、「eパワー」と呼ぶハイブリッド・グレードを追加。

これが大人気となり、発売月である11月の国内販売ナンバー1を獲得。なんと、日産車が月間販売台数で1位を獲得したのは、1986年9月のサニー以来、30年ぶりの記録となった。

2017年を通しても販売は好調で、年間で約14万台を記録。ただし、ランキングではプリウスに次ぐ2位に甘んじる。

だが、ここで終わらなかったのがノートの常識外れの所以だ。なんと、翌2018年になって販売を回復。1~6月の上半期でランキング1位に返り咲く。

これが1970年のサニー以来で48年ぶり。

その後も好調さを維持し、ノートは2018年暦年の車名別年間販売台数1位となる。これは日産車として史上初。

現行型のデビューから5年目の記録達成は、「新車効果」の常識を吹き飛ばす快挙であったのだ。

ハイブリッドと先進運転支援が貢献

ノートがデビューしてから長い間にわたって売れた理由の1つがデビュー4年後に投入された「eパワー」だ。

これは日産の現在のハイブリッドシステムの主流となっているもので、セレナにも搭載されている。

EVはベストセラーカーになることはなく、世間はハイブリッドカーを求めた。遅ればせながら応えたのがノートの「eパワー」だった。
EVはベストセラーカーになることはなく、世間はハイブリッドカーを求めた。遅ればせながら応えたのがノートの「eパワー」だった。    日産

ポイントはモーター駆動を主とするところで、エンジンは発電に徹する。いわゆるシリーズハイブリッドと呼ばれるもので、トヨタのプリウスなどが使う方式とは異なる。

また、ホンダも日産と似た方式だが、モーター駆動以外にも高速走行でエンジン直結モードを利用する。

それに対して、日産の「eパワー」は、どんなシチュエーションでもモーター駆動で乗り切る。EVに力を入れてきた日産らしいパワートレインだ。

ちなみに、日産はリーフを発売するなど、2010年代初頭はEVに力を入れており、ハイブリッドには見向きもしなかった。

しかし、EVはベストセラーカーになることはなく、世間はハイブリッドカーを求めた。

そんなニーズに、遅ればせながら応えたのがノートの「eパワー」だったのだ。

また、ノートは、日産ラインナップのエントリーにあたるモデルながら、先進運転支援システムを積極的に搭載したのもヒットの理由だろう。衝突被害軽減自動ブレーキ(インテリジェントエマージェンシーブレーキ)をはじめ、アクセルとブレーキの踏み間違いによる衝突防止をアシストする機能、クルマの周囲を確認しやすいインテリジェントアラウンドビューモニターなどが装備されている。

高齢ドライバーによる事故が社会問題化となる中で、ノートの安全性の高さは大きなセールスポイントとなったはずだ。

記事に関わった人々

  • 鈴木ケンイチ

    Kenichi Suzuki

    1966年生まれ。中学時代は自転車、学生時代はオートバイにのめり込み、アルバイトはバイク便。一般誌/音楽誌でライターになった後も、やはり乗り物好きの本性は変わらず、気づけば自動車関連の仕事が中心に。30代はサーキット走行にのめり込み、ワンメイクレースにも参戦。愛車はマツダ・ロードスター。今の趣味はロードバイクと楽器演奏(ベース)。

関連テーマ

おすすめ記事