【日産ノート特大ホームラン】ヒットを支えた影の功労者とは? 常識くつがえす売れ行き 多くの要因が交差

公開 : 2020.11.24 18:27  更新 : 2021.10.09 23:42

マーチとティーダのユーザーを吸収

「eパワー」と先進運転支援システムの充実は、ノートの大きな魅力だ。しかし、そうした商品力以外にもノートが売れた理由が考えられる。

それが日産のラインナップだ。

2010年にフルモデルチェンジした日産マーチ。
2010年にフルモデルチェンジした日産マーチ。    日産

どういうことかと言えば、もともと日産のコンパクトカー・カテゴリーは、ノートだけではなかった。

まず、日産コンパクトカーの伝統的なモデルであるマーチが存在する。

また、Bセグメントのハッチバックとしてティーダもあった。

ほんの10年ちょっと前の2000年代は、マーチ、ノート、ティーダという3モデルでコンパクトカー・カテゴリーをカバーしていたのだ。

ところが、2010年にマーチがフルモデルチェンジする。日本ではなくタイ生産に切り替わるのだが、このタイ製のマーチの評判がよろしくなかった。

なんといっても、デザインが日本人受けしなった。

また、質感もイマイチ。グローバル市場を意識しすぎて、日本のユーザーにそっぽを向かれたという格好だ。

販売は今も続いているが、販売ランキングで言えば50位以下という残念な成績が続いている。

さらに現行ノートが登場する2012年に、ティーダがフェイドアウト。

この2012年の時点では、まだマーチがギリギリ頑張っていたこともあり、コンパクトカー・カテゴリーは、マーチとノートに託された格好だ。

しかし、その後、マーチが落伍してしたため、結局、ノートだけが残されたことになる。

つまり、10年前までは3モデルでカバーしていたカテゴリーを、今ではノートという1モデルだけになってしまった。

言ってみれば、3台分の売り上げがノート1台に集約された格好である。

ノートのヒットには、マーチとティーダという功労者(車)が存在していたというわけだ。

日産ファンの受け皿 他にない存在

また、世の中には「日産ファン」という存在がある。昔から日産一筋というユーザーだ。日産の歴史は長く、昭和の時代はトヨタと覇を競っていた。

スカイラインをはじめサニーなど、人気モデルは非常に多く、同様に日産ファンも数多く存在したのだ。

日産スカイライン(2019年)
日産スカイライン(2019年)    日産

そうしたファンが今も日産車に乗り続けているというケースは珍しくはない。

さらに言えば、日産の関連会社や、そうしたところと取り引きのある会社は、他銘柄ではなく日産車を選ぶことが多い。

つまり、そうした「買い物の条件が日産であること」というユーザーは、今も一定数が存在しており、そうした層の受け皿となるコンパクトカーがノートなのだ。

「eパワー」や先進運転支援機能などで商品力をアップしたとたんに販売ランキング1位を獲得できたということは、そもそもの潜在力があったということ。

次世代モデルが発表され、12月には発売も開始されるという。

日産ファンという固定客がそれなりに存在することを考えれば、その未来は楽観視しても良いのではないだろうか。

記事に関わった人々

  • 鈴木ケンイチ

    Kenichi Suzuki

    1966年生まれ。中学時代は自転車、学生時代はオートバイにのめり込み、アルバイトはバイク便。一般誌/音楽誌でライターになった後も、やはり乗り物好きの本性は変わらず、気づけば自動車関連の仕事が中心に。30代はサーキット走行にのめり込み、ワンメイクレースにも参戦。愛車はマツダ・ロードスター。今の趣味はロードバイクと楽器演奏(ベース)。

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