【100周年を祝った眩しい緑】3番目に古いシトロエンDS 19 レストアに17年 前編

公開 : 2021.06.27 07:05

多忙さでパンクしたパリのサービス部門

ステアリングのボールジョイントや、圧力差に耐えられなかった燃料タンクは割れた。ゼンマイ式の時計も狂いがひどかった。些細な不具合もなくはなかったが、数の多さが問題を大きくした。

当初のDS 19には、助手席側ドアにキーが付いていなかった。シトロエンを停めるとハイドロの圧力が抜け、車高が落ちる。ドア開口部の底辺が縁石より低くなることもあり、ロックせずとも助手席側からは乗れなかった、という笑い話もある。

シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)
シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)

酷い日には、スーパー・コントロールのチームへ約200件の電話が入ったらしい。メンバーはハイドロ系統のゴム部品をケースに詰め、首にハイドロのホースをぶら下げ、電車や飛行機で移動を続けた。

動かなくなったDSは、故障したことを目立たなくするため、夜間に牽引された。ディーラーとしての手続きを飛ばし、クルマは修理され顧客へ戻された。パリのサービス部門は仕事の多さでパンクし、特別の修理工場が準備されるほど。

海外では問題が深刻だった。特にアメリカでは純正のハイドロ用フルードが利用を禁止されており、一般的なロッキード社製の油圧系統用フルードが用いられていた。

このフルードは潤滑性で純正品に劣り、トランスミッションの内部回路のシールを変形させ、ギアの固着を招いた。ヒマシ油をフルードに添加するという解決手段はあったが、冬場にオイルが結晶化し、ハイドロ系統を詰まらせるという副作用があった。

総生産台数は160万台に迫るDSとID

一方、温かく湿気の多い地域のフランス領では、ハイドロ系統に水分が混入。フルードを乳化させ、リザーバータンクをマヨネーズの瓶のような状態にした。

シトロエンも対処に邁進し、1957年の春が始まる頃には多くの問題が解決されるようになった。臨時で設けられた修理工場も、役目を終えることができた。

シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)
シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)

しかし、DS 19の不具合のすべてが完治したわけではなかった。両手で数えるほどの持病が残り、1959年末にも注文のキャンセルは続いた。シトロエンの大型モデルに対する信頼は、ほとんど残っていなかった。

DSの中古車も、買い手が付かなかった。初期のクルマは部品取りにされ、この世から消えていった。

1960年、空調設備の整ったハイドロ系専用の工場が竣工。苦しみながらもDSは、本来の内容で生産されるようになる。「DS初期のような経験は、二度と勘弁して欲しい」。シトロエンを率いたピエール・ベルコが、そんな風に叫んだかどうかは定かではないが。

すべてが整うと大々的に広告が打たれ、再びDSの販売活動が本格化。ステーションワゴンのブレークが追加され、人気獲得へ後押しする。その結果、1960年のDSと廉価版のIDの生産台数は8万3205台へ上昇。

1970年には生産のピークを迎え、10万3633台に達している。海外生産を含めれば、モデルライフを通じての総生産台数は160万台に迫るほど。

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