【映画人の愛したリムジン】ロールス・ロイス・ファントムV 当時最高峰の走るオフィス 前編

公開 : 2021.10.10 11:45  更新 : 2021.10.11 17:44

ドアにはイニシャル、HSのモノグラム

銀幕の中でロールス・ロイスが登場するのは、「007ロシアより愛を込めて」が初めて。トルコ・イスタンブール空港でジェームズ・ボンドと落ち合うケリム・ベイが、シルバーレイスに乗っている。

「007ゴールドフィンガー」に登場するファントムIII セダンカ・デ・ヴィルは、シリーズの中で最も悪役的なロールス・ロイスだろう。原作では、シルヴァーゴーストが使われていた。

 ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)
ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)

そして、現実世界で50歳のサルツマンが手にしたロールス・ロイスが、ファントムV。1965年の価格は9517ポンドで、当時の英国では最も高価なロールス・ロイスなだけでなく、最も高価な自動車の1つでもあった。

同時期のメルセデス・ベンツ600 プルマンの英国価格は、約1万ポンド。フェラーリ500 スーパファストは、1万1518ポンドの値が付いていた。ミニは469ポンドで、平均的な住宅の価格は2000ポンド程度という時代だ。

ボディはメイソン・ブラックに塗られ、ドアにはハリー・サルツマンのイニシャル、HSのモノグラムがあしらわれていたという。シャシー番号はEVE9。マリナー・パークウォード社のワークショップで、ほぼ1年を費やして仕上げられている。

納車は1966年の1月。ナンバーは5 HYEを取得した。同時にアルバート・ブロッコリもファントムVを購入しており、こちらのナンバーはCUB 1だった。

パワーステアリングが装備され、トランスミッションは当時としては新しいオートマティック。だがサルツマンは、500ポンドの追加料金でエアコンを装備させようとは考えなかったらしい。

映画監督のマイケル・ウィナーへ売却

サルツマンのファントムVには丸目4灯のヘッドライトが備わり、強力なクラウドIII用のエンジンを搭載。クロームメッキ加工されたドアフレームが付き、マリナー・パークウォード社がデザイン変更したフロントガラスが組まれている。

このデザインには、2003番が付けられた。1959年から1962年のオリジナルのパークウォード社によるデザイン番号は、980番。1992年にファントムVIが製造終了されるまで、基本的なフォルムが変更されなかったことは特筆すべき点だろう。

 ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)
ロールス・ロイス・ファントムV(1965年/英国仕様)

彼への納車から数年後の1969年、ファントムVIが登場すると、フロントとリアに独立したエアコンが標準装備される。初期のシルバーシャドウ風のダッシュボードを備え、ステアリングホイールの奥にメーター類が並ぶようにもなった。

ファントムVIへの進化では多くの改良が施されていたが、基本構成は同じ。3657mmのホイールベースを持つ独立シャシーを、巨大なドラムブレーキで受け止めている。

登場を待つかのように、サルツマンはファントムVを1968年に映画監督のマイケル・ウィナーへ8500ポンドで売却。すぐにファントムVIへ乗り換えた。

2人目のオーナーとなったウィナーはファントムVを塗装し直し、HSのモノグラムは消されてしまった。「わたしの名前を変えるより、ドアを塗り直す方が安かった」。と彼は言葉を残している。

一方で5 HYEのナンバー・プレートはサルツマンが保持。ウイナーはNAN 509Dという、通常に割り振られたナンバーで登録し直している。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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