直列6気筒の上級サルーン メルセデス・ベンツ300とベントレーS1 前編

公開 : 2022.02.27 07:05

メルセデス・ベンツとベントレー。英独の2ブランドが戦後に生んだ上級サルーンを、英国編集部がご紹介します。

世界平和を西ドイツから宣言した300

1951年、ダイムラー・ベンツ社は新しい高級車、W186型300シリーズの生産を開始した。ナチスからの縛りが解かれた2代目会長、ヴィルヘルム・ハスペル氏は「メルセデスの名前を再び輝かせるクルマ」に位置付け、輸出の好機だと捉えた。

戦前に設計された170やW121型「ポントン」といった小型乗用車も、戦後のメルセデスを支える重要な役割を持っていた。だが、新しいフラッグシップ・モデルもまた、ブランド再興には不可欠だった。

シルバーのベントレーS1と、ブラックのメルセデス・ベンツ300b
シルバーのベントレーS1と、ブラックのメルセデス・ベンツ300b

才能溢れるダイムラー・ベンツ社の主任技術者、フリッツ・ナリンガー氏は、戦争経済指導者というポストに不本意ながら就任。第二次大戦ではドイツの高度な技術力を見せつけることに一役買ったが、連合軍の勝利にともない、一時的に一線を退いていた。

戦後、高速ディーゼルエンジンの父とも呼ばれるナリンガーは、フランスへ移住。ターボジェットの設計グループに参画しながら、穏やかな2年間を過ごしたという。

だが1948年、その設計プロジェクトは中止に。メルセデス・ベンツへの復帰が許された。西ドイツへ戻ると取締役会のメンバーへ加わり、新型300の構想を練った。

1951年、フランクフルトで発表された新しい300シリーズは、戦前のメルセデス・ベンツ770「グロッサー」や540Kのイメージを一新していた。独裁者時代とは一線を画し、親しみやすい雰囲気を湛えていた。

モダンなスタイリングは、優雅でありつつ威厳を感じさせる。西ドイツの首相を努めた、コンラート・アデナウアー氏にも愛された。世界平和を、西ドイツから宣言したようなクルマだった。

300SLにも搭載された直列6気筒

新車時のメルセデス・ベンツ300aの西ドイツ価格は、ヒーター付きで1700ポンド相当。英国へ輸入されると関税で3500ポンドへ膨らんだが、同時期のベントレーMk VIより安価だった。

機械的には、伝統的な要素と現代的な要素が巧みに融合されていた。楕円形の断面を持つパイプにクロスブレースを備えるシャシーが基礎骨格で、車重は1757kg。ホイールベースは3050mmに設定された。

メルセデス・ベンツ300b(1954〜1957年/英国仕様)
メルセデス・ベンツ300b(1954〜1957年/英国仕様)

電圧12Vの電装系は、メルセデス・ベンツ新採用。ナリンガーが好んだスイングアクスル式の独立懸架サスペンションは、サーボモーターで硬さを33%変更できるトーションバーを搭載。リアの乗り心地を、負荷に応じて変えることが可能だった。

エンジンはM186型の直列6気筒で、排気量は2996cc。オーバーヘッドカムが与えられていたが、オリジナルは戦時中の商用車の2.6Lユニットだった。生産工場は、連合軍による空爆を免れていた。

このエンジンは、ガルウィング・ドアの300SLにも搭載されている。チューニングを受けて。

300の場合、アルミヘッドとスチールブロックの接合面が加工され、大きいバルブが組まれた。7本のメインベアリングでクランクを支持し、ソレックス社製のダウンドラフト・キャブレターを搭載。最高出力116psを発揮した。

充分な直線があれば、300aは160km/hの最高速度に届いた。その当時は、西ドイツ最速の量産車だった。さらに1954年、改良された300bが登場。エンジンは高圧縮化されトルクが増大し、10馬力が加算された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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