まるで図鑑から飛び出した1台 「トヨタ・スタウト」を再生 ハイラックスのルーツを辿る

公開 : 2022.02.26 11:25  更新 : 2022.04.27 17:04

神奈川トヨタがレストアしたのは、ある一家が50年以上を共にした1959年式スタウト。ハイラックス誕生前のボンネットトラックが蘇ります。

点と線 スタウト誕生とクラウン

執筆:Wataru Shimizudani(清水谷 渉)

2月19〜20日にパシフィコ横浜で開催されたノスタルジック2デイズ。

神奈川トヨタのブースには、以前に紹介したフルレストアされた初代クラウンのほかに、見慣れないクラシックなトラックも展示されていた。

1959年登録のトヨタ・スタウト(RK35)。トラックにしてはデザイン性を感じる顔立ち。
1959年登録のトヨタ・スタウト(RK35)。トラックにしてはデザイン性を感じる顔立ち。    AUTOCAR JAPAN編集部

そのトラックの名は「トヨタ・スタウト(トヨペット・スタウト)」。現在のハイラックスのルーツともいえる、このクルマはどんなクルマだったのだろうか。

1955年(昭和30年)。トヨタは純国産技術による初の本格的乗用車として初代クラウン(RS型)を発売した。

これと同時に販売を始めたのが、トヨペット・マスター。

クラウンは乗用車として開発されたため、仮にタクシーのような営業車として過酷に使われて故障が多発しては、トヨタ的に問題となる。

そこで営業車用に登場したのがマスターだった。ベースは、1953年に発売されたトヨペット・スーパーだが、クラウンと似たスタイルに一新。

性能的にはRS型クラウンと同等だったが、サスペンションには前後とも固定車軸(リーフリジッドアクスル)を用いており、乗り心地は悪かった。

マスターと顔が似ているワケ

ちなみに、クラウンのフロントサスペンションはダブルウイッシュボーン/コイルスプリングを採用していた(リアはリーフリジッドアクスル)。

そこで乗り心地を重視して、クラウンをタクシーに使う業者も登場した。

「マスターラインはキャビンと荷台が一体成型でした。当時はどんがらをドンドン積むので、ボディごとねじれてしまうのです。そこで、荷台を分離して積載量を稼ごうと作ったのがスタウト。だから顔は同じ(神奈川トヨタ特販部 官公庁・団体室 新家栄二室長)」
「マスターラインはキャビンと荷台が一体成型でした。当時はどんがらをドンドン積むので、ボディごとねじれてしまうのです。そこで、荷台を分離して積載量を稼ごうと作ったのがスタウト。だから顔は同じ(神奈川トヨタ特販部 官公庁・団体室 新家栄二室長)」    AUTOCAR JAPAN編集部

だがトヨタの心配は杞憂に終わり、クラウンは故障も少なくて乗り心地も良く、タクシーとしても十分に通用した。

そのため、マスターは発売翌年の1956年11月には販売を終了する。

短命に終わったマスターの生産ラインはライトバンのマスターラインや、そのピックアップ版に引き継がれた。

さらに、キャビンなどはRK型と呼ばれる小型ボンネットトラックにも採用された。それが、このスタウトなのだ。

だから、このトラックの顔つきが当時のトラックとしては、どことなくアカ抜けているのも分かろうというものだ。

スタウトが残してくれたもの

それまでのボンネットトラックは、ボンネットとトラックが一体ではないクラシカルなスタイルなものが大半だったが、マスターのキャビンを流用したことで近代的なスタイルとなった。

また、マスターラインのピックアップ版はボディと荷台が一体型で、積載量は750kgだったが、RK型トラックは独立した荷台を持つので積載量は1750kgにまで増大されていた。

63年前の1959年に、座間市の農家の方が神奈川トヨタで購入。収穫した作物を市場へ運び続けた。2016年にご子息の方が同社に寄贈。今でも新車当時のナンバーを維持している。
63年前の1959年に、座間市の農家の方が神奈川トヨタで購入。収穫した作物を市場へ運び続けた。2016年にご子息の方が同社に寄贈。今でも新車当時のナンバーを維持している。    AUTOCAR JAPAN編集部

1959年、RK型トラックは愛称募集により「スタウト(STOUT)」という車名が与えられた。

英語で「丈夫な」とか「頑丈な」という意味のあるスタウトという車名は、まさにトラックとしてはピッタリなネーミングといえるだろう。

ちなみに、スタウトとシャシーを共有するキャブオーバートラックも、このとき同時に「ダイナ」という車名が与えられた。

ダイナは日野デュトロのOEM供給モデルとなったが現代まで存続している。

だがスタウトは、1968年に日野とコラボしたトラック「ブリスカ」が「ハイラックス」にモデルチェンジされ、その座を引き継いだことで、1986年に3代目が生産終了してフェードアウトしている。

記事に関わった人々

  • 編集

    徳永徹

    Tetsu Tokunaga

    1975年生まれ。2013年にCLASSIC & SPORTS CAR日本版創刊号の製作に関わったあと、AUTOCAR JAPAN編集部に加わる。クルマ遊びは、新車購入よりも、格安中古車を手に入れ、パテ盛り、コンパウンド磨きで仕上げるのがモットー。ただし不器用。

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