ジャガーEタイプxフォード・ギャラクシー 8.5L V8エンジンのイーガル 忘れられない衝撃 後編

公開 : 2022.09.10 07:06

ジャガーの名車、Eタイプのフロントに納まるのはフォードのビッグブロック。稀代のレーシングカーを英国編集部がご紹介します。

1965年のカッスルクームで大クラッシュ

1964年10月には、南中部のチャーチ・ローフォードで開かれたスプリント・レースにイーガルは参戦。ロジャー・マック氏が駆る軽量なEタイプロードスターを凌駕し、44.5秒というベストタイムを記録している。

シーズン最後となった中東部のオウルトンパークでは、最後にトランスミッションが破損してしまうものの、1964年全体では好成績を残した。

ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)
ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)

イーガルを製作したロブ・ベック氏とジェフ・リチャードソン氏は、純正トランスミッションがシーズン終了まで耐えることを願っていた。見事にそれは叶ったようだ。

1965年はボルグワーナー社製のトランスミッションに換装されるが、カッスルクーム・サーキットでのテスト走行中、高速コーナーでギアが抜けコースアウト。大クラッシュに見舞われるなかで、ベックは一命をとりとめた。

彼はその事故をきっかけに、勝利を追い求めなくなったらしい。甥のアラン・ブルックス氏が振り返る。

「ベックおじさんはそれ以来、穏やかになりました。叔父の母、わたしの祖母はまだ生きていて、レースで命を危険に晒していることへ不安を抱いていました。考えて、レースを諦めたようです」

1966年は、F1も戦ったレーシングドライバーのクリス・サマーズ氏が、リビルドされたイーガルを運転した。ベックとリチャードソンも、サーキットへ足は運んでいた。

ベックは、ブライトン・スピードトライアルに参戦。時速146マイル(234.9km/h)でフィニッシュし、クラス2位を奪取している。スピードに対する熱意は、完全には消えていなかったのだろう。

ドライバーを思わず笑顔にさせる個性

1967年になると、2人はバリー・ウィリアムズ氏をドライバーとして採用。「パワーが高すぎてグリップ力が足りず、運転は恐ろしいものでした。それでも第1コーナーの侵入には有利で、多くのレースで勝利しましたが」。と、後にウィリアムズが話している。

それ以降、ベックとリチャードソンはイーガルを売却。複数のオーナーを介して、1970年代半ばにトム・マッカラム氏が購入した。幼い頃からモータースポーツ・ファンで、自身もチューニングされたジャガーXK120やEタイプでの参戦経験を有していた。

ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)
ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)

「わたしもイーガルを思う存分楽しみました。ボブ・カーという人物と北部のドゥーン・ヒルクライム・サーキットのパドックで、自分のEタイプと交換したんですよ」。とマッカラムが振り返る。

「そのイベントでは、ヒルクライムへ参戦しました。ドゥーンのコースは手強いのですが、それでもイーガルはドライバーを思わず笑顔にさせる個性がありましたね。優勝もできました」

「別のクラシックカー・イベントでは、予選でポールポジションを獲得しています。2位はライトウエイトEタイプで、スポーツカーやオープンホイールのマシンが混戦するレースでした」

「本番が始まると路面はウェット状態になり、イーガルには適さないコンディションに。最終的には僅差の2位を掴んでいます」。とマッカラムが回想する。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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