1954年のクラス優勝マシンを再現 ブリストル450ル・マン 異彩のツインフィン 後編

公開 : 2023.01.21 07:06

偉業の大きさを物語る異彩を放つボディ

450ル・マンは、レーシングカーとしてバランスに長ける。近年に再現されたクルマだが、できる限りオリジナルへ近づけてある。当時のレーシングドライバーが経験した感覚も、高度に再現されているに違いない。

2人の情熱が完成へと導いた、ブリストル450ル・マン。その異彩を放つスタイリングが、偉業の大きさを物語る。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)

まだ空気力学が黎明期だった1950年代に、想像力豊かな技術者が導き出したボディは見事に蘇った。ボレとミッチェルの想像性も、人並み外れたモノといえるだろう。

協力:オートドロム・ドゥ・リナ・モンレリ、ミッチェル・モーターズ社

番外編:1954年のル・マン・クラス優勝

ブリストル・カーズのワークスチームは、1954年のル・マン24時間レースへ3台のマシンで参戦。総合で7位から9位へ入賞し、1500-2000ccクラスでの優勝を果たした。

第二次大戦時に事業を成功させたブリストル・エアプレーン社は、終戦とともに自動車事業へ展開。モータースポーツでの活躍が販売につながると判断し、ル・マン参戦を目標に掲げた。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)

BMWを由来にするブリストルの直列6気筒エンジンは、イングリッシュ・レーシング・オートモービル(ERA)社の手によりチューニング。F2マシンに搭載され、実力の高さが示されていた。

軽量なマグネシウム・チューブラーフレームは実戦結果を残していなかったが、高い可能性を秘めていることは明らかだった。そこで同社のデザイナー、デビッド・サマーズ氏により、風洞実験を経たクーペボディが与えられる事になった。

1953年の初戦では4台のマシンを投入。しかし、チェッカーフラッグを受けることはできなかった。エンジントラブルでのリアイアに喫した。

それにめげず、3週間後にはフランス・ランスでの12時間レースに参戦。フェラーリ166を凌駕し、2.0Lカテゴリーで優勝を果たした。総合でも5位を掴んでいる。

ミュルザンヌ・ストレートで240km/hに迫る

翌年に向けて、ブリストル・カーズの士気は高かった。ボディはシャシーに合わせて調整が加えられ、洗練度を高めた。ブレーキの冷却性を向上するべく、フロントフェンダーの形状が改められ、ヘッドライトとテールライトも一新された。

改良後の1953年10月には、オートドロム・ドゥ・リナ・モンレリでテスト走行。6時間平均で185.7km/hというスピード記録を含む、6クラスで新記録を残している。英国の自動車業界としても誇らしい結果だった。

ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)
ブリストル450ル・マン(1954年仕様の再現モデル)

さらに特別なシリンダーヘッドを開発。トリプル・ツインチョーク・キャブレターを搭載し、157ps/6000rpmという最高出力を引き出した。

1954年仕様の450ル・マンは速く、まだシケインで仕切られていなかったミュルザンヌ・ストレートで240km/h近くの速度に届いた。安定性も高かったようだ。

レーシングドライバーのピーター・ウィルソン氏は、次のように答えている。「ストレートでは森の間から強い横風が吹きます。しかし、450は少し進路が乱れただけ。ほかのマシンは、明らかに影響が大きかったように見えまました」

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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