スカイラインGT-Rで成功した男(1) カーマニアと日産との出会い いしずえ築いたR32型

公開 : 2024.05.19 17:45

ケンメリ以来となるGT-Rが16年ぶりに復活

「それがきっかけで、AE86型トヨタカローラのセミ・ワークスドライバーに選ばれたんです。スウェーデン人の、パー・エクルンドさんがメインドライバー。国際ラリーでは、結構な回数優勝したんですよ」

その後、フォルクスワーゲンから声がかかり、サルーンカー・チャンピオンシップのドライバーへ抜擢。ゴルフGTIを駆り、1988年と1989年にクラスCで総合優勝を掴んだ。

日産スカイライン GT-R(R32型/1989〜1994年/英国仕様)
日産スカイライン GT-R(R32型/1989〜1994年/英国仕様)

1990年にフォードへ鞍替え。シエラ RSコスワースで圧倒的な強さを示した。1991年には、シエラRS 500で英国ツーリングカー選手権(BTCC)へステップアップ。初シーズンで総合9位の成績を残した。

日産との関係が生まれたのは、翌1992年。ジャンスピード・レーシングのチームドライバーとして、英国人レーサーのキース・オドール氏と組み、プリメーラ eGTで戦うことになったのだ。

アンディが続ける。「ジャンスピードは、サルーンカー・チャンピオンシップのグループNで、R32型GT-Rを走らせていたんです。ワークショップには、いつもそれが停まっていて、行く度に見惚れていましたよ」

スカイラインの歴史は1957年に遡るが、8代目のR32型は1989年に登場。1973年のC110型、通称ケンメリ以来となるGT-Rが、16年ぶりに復活を果たしていた。

エンジンは、2.6L直列6気筒ツインターボ。四輪駆動と四輪操舵システムを融合させ、日本の自動車技術の粋を集めたモンスターといえた。

当然、日本のモータースポーツでも圧倒的な強さを残したが、オーストラリアでも大暴れ。彼らはゴジラと呼び、強さの余りレース参戦を禁止されたほどだった。

クルマに仕事をさせて、自分はそれを操るだけ

他方、前輪駆動のプリメーラでアンディは苦戦。1993年シーズンは、サニー GTIへマシンが変更された。

「その年に、自分が選ぶべきはスカイラインだと決意。ジャンスピード・チームのクルマの1台を、真新しいボディシェルと一緒に購入し、1台のマシンを組み上げました」。と説明する彼は、電子制御の四輪駆動へ慣れるまで時間を要した。

日産スカイライン GT-R(R32型/1989〜1994年/英国仕様)
日産スカイライン GT-R(R32型/1989〜1994年/英国仕様)

「当初、GT-Rは手に負えないマシンでしたが、ブランズハッチ・サーキットで、レーサーのバリー・ウィリアムズ氏からこんなことを聞いたんです。クルマに仕事をさせて、自分はそれを操るだけだと。ここから、運転が楽になったんですよね」

GT-Rには、多数のセンサーが載っている。ステアリングを切りながら一気にパワーを与えると、四輪駆動システムはフロントへパワーを伝え、アンダーステアが出てしまう。

そこでコーナーではテールスライドさせ、ステアリングを大きく切らないように操った。GT-Rは後輪駆動のように振る舞い、鋭い脱出が可能になった。

ブレーキには、解決が難しい課題があった。「ドリルド・ディスクは、レースの度にダメになりました。ヒビが入り、予選でも捨てていたほど」。シエラとエスコートを擁するフォードへ、初年度は届かなかったらしい。

「しかし、翌年にレギュレーションが変更。好きなメーカーのブレーキへ変更可能になり、APレーシングの6ポッドへ組み替えました。車重は1290kg。規定の最低重量で、マシンを仕上げたんです。そして、初戦から優勝です」

この続きは、スカイラインGT-Rで成功した男(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ベン・バリー

    Ben Barry

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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