新興企業はいかにして自動車を作ったか 運と情熱 英イネオス・オートモーティブCEOインタビュー

公開 : 2024.07.22 18:05

英国のイネオス・オートモーティブは設立7年目にして大型SUV「グレナディア」の量産化にこぎつけた。グループ会社の資金力、幸運、血の滲むような苦労。いかにしてアイデアを現実にしたか、同社CEOに話を聞いた。

7年で量産化にこぎつけたイネオス

自動車の設計と生産、販売はそれぞれまったく別の問題だ。

自動車の生産には莫大なコストがかかり、事業としてのハードルは非常に高い。生産プロセスは複雑なサプライチェーンに依存しており、自動車自体もあらゆる種類の法的要件を満たすように作らなければならない。

イネオス・オートモーティブのリン・カルダーCEOと同社初の市販車「グレナディア」
イネオス・オートモーティブのリン・カルダーCEOと同社初の市販車「グレナディア」

テスラは、ゼロから立ち上げられた自動車メーカーが、それなりの規模で成功を収めた現代唯一の例である。そう、これまでは。

イネオス・オートモーティブは、英ロンドンのパブでジム・ラトクリフ氏(イネオス・グループ会長兼CEO)が一杯やりながら、旧型ランドローバーディフェンダーの生産終了を嘆いたことから生まれた。2016年のことだ。それから7年後、量産車第1号のグレナディアが出荷された。

2022年12月以来、同社を率いているのはリン・カルダー氏だ。大手化学グループ、イネオス帝国の他部署から連れて来られ、グレナディアを製品化し、量産にこぎつけた。自動車会社で働いたことがなく、重要な時期を任された彼女にとっては非常に厳しい試練だった。

カルダー氏は、最初に仕事のオファーを受けたときはかなり驚いたと振り返る。「まったく信じられませんでした」

予期せぬ自動車部門CEOへの起用

彼女の起用は畑違いのように見えるが、イネオスは従来の道を歩む会社ではない。カルダー氏自身も、人生の中で常にクルマとのつながりがあったという。

エディンバラ近郊のファイフで育ち、その後アバディーンに移り住んだ彼女の周りには、常にクルマがあった。整備工の父親については「お金を全部クルマにつぎ込んでいた……いつも新しいものを試したがっており、ある日家に帰るとボルボのステーションワゴンが日産のプリメーラになっていた」と回想する。人生初のマイカーは、田舎に住む彼女に “自由” をもたらしたフォードフィエスタだった。

イネオス・オートモーティブのリン・カルダーCEO
イネオス・オートモーティブのリン・カルダーCEO

カルダー氏は経済学の学位を持ち、石油・ガス産業でキャリアをスタートさせた。「わたしは製造業や科学技術の話題が好きなので、採掘方法を学ぶことは非常にエキサイティングなことでした」

その後、米国を拠点とするプライベート・エクイティ企業に転職した。

そこでカルダー氏は、「ビジネスについて、その絶対的な要点と効率的な運営方法」を学び、大きな驚きがあったという。「プライベート・エクイティは数字がすべてだと思っていたのですが、10年近く経って、人こそがすべてだと気づいたのです。一緒に働く人たちがビジネスを前進させ、何をすべきかを知っているのです」

その後、イネオス・グループに転職し、石油・ガス部門や化学部門に移り、いくつかの事業でCEOを務めた。イネオス・オートモーティブの経営という仕事は採用サイトには掲載されておらず、自分が肩を叩かれるとは「まったく予期していなかった」。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーク・ティショー

    Mark Tisshaw

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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