失敗に終わった高級車ブランド 29選(前編) 歴史に残る「しくじり」

公開 : 2025.01.26 18:05

ホルヒ(1904年)

世界的に有名な高級ブランドのアウディの誕生に貢献したホルヒ。その存続期間は1932年に他ブランドと合併してアウトウニオンになるまでの短いものだった。アウトウニオンは8気筒エンジンを搭載した高級車に強みを発揮したが、第二次世界大戦が勃発し、軍需産業に身を投じた。

戦争中に工場が激しい空爆を受け、最終的にはソ連軍に占領された。残されたものを守るために、アウトウニオンの経営陣は西ドイツに拠点を移し、アウトウニオンGmbHを設立した。高級志向のアウディとホルヒは休眠状態に追い込まれた。アウディは1965年に再始動し、ホルヒの名称は2022年に中国限定で販売されたアウディA8Lの最上級モデルに用いられた。

ホルヒ(1904年)
ホルヒ(1904年)

ドラージュ(1905年~1954年)

フランスのドラージュは1905年に創業し、後に同じく不運な運命をたどったブランド、オチキス(ホッチキスとも呼ばれる)と合併した。ドラージュのエンジンは芸術品であり、D8 120クーペのようなモデルは、ブランドの高級イメージを誇り高く体現していた。

フランスでの自動車税の大幅な引き上げと経済危機により、1935年、ドラージュは経営に行き詰まった。創業者ルイ・ドラージュは間もなく破産を宣言せざるを得なくなり、同氏は1947年に貧困のうちに亡くなった。ドラージュはオチキスに吸収され、1954年に生産終了。最近、D12というスポーツカーでその名が復活した。

ドラージュ(1905年~1954年)
ドラージュ(1905年~1954年)

フランクリン・オートモービル(1906年~1934年)

金属ダイカストからフルサイズの高級車の製造までを手がけた米国人、ハーバート・H・フランクリンは、空冷エンジン車に特化したフランクリン・オートモービル社を設立した。業績が上向き始めた頃、他社との競争激化を受け、最高出力150psの12気筒エンジンを導入する。フランクリンはこれを「スーパーチャージャー付き」エンジンとして宣伝したが、実際には冷却ファンのダクトを取り付けただけで、ラムエア方式に近いものだった。

素晴らしいかに見えたアイデアはコストのかかる失策へと転じ、ライバル車に太刀打ちできず、販売台数は低迷した。高価なV12エンジンと世界大恐慌が重なり、1934年には倒産した。

フランクリン・オートモービル(1906年~1934年)
フランクリン・オートモービル(1906年~1934年)

スタッツ(1911年)

スタッツは、若い頃に家族の農場で自動車を独自開発した機械工学の天才、ハリー・スタッツが大黒柱となっていた。スポーツカーのスタッツ・ベアキャットは発売から4年で3000台以上を売り上げ、その後も高級車が続いた。

しかし、世界恐慌に見舞われ、販売台数は減少。さらに、エンジン製造に関する契約違反をめぐって訴訟を起こされた。1934年の生産台数はわずか6台で、間もなく、スタッツは大恐慌の犠牲となった。

スタッツ(1911年)
スタッツ(1911年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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