18年間で約4万8000台生産!R35型日産GT-Rが栃木工場でついにオフライン【永遠の別れではない】

公開 : 2025.08.27 11:45

開発に携わってきたふたりが語るR35の思い出

オフライン式では、まず、栃木工場のゲストホールでオープニングのイメージムービーが上映された後、R35型GT-RフェアレディZの前統括責任者で、現在は日産のブランドアンバサダーとなった田村宏志氏によるR35型GT-Rを振り返るプレゼンテーションが行われた。

そこでは18年間の進化や、モータースポーツにおける活躍、ニュルブルクリンクや筑波サーキットでのラップタイム記録更新、そして史上最速ドリフトによるギネス世界記録達成など、さまざまな思い出を語った。

R35型GT-RとフェアレディZの前統括責任者で、現在は日産のブランドアンバサダーとなった田村宏志氏。
R35型GT-RとフェアレディZの前統括責任者で、現在は日産のブランドアンバサダーとなった田村宏志氏。    田中秀宣

続いて、前出の松本氏が登場した。R35型GT-Rは初めてサーキットで開発された日産車で、ニュルブルクリンクでの開発初期は、外見は少し変なカタチのスカイラインだが中身はR35というクルマでテストを重ね、3〜5週間で6kgは痩せたという。

他にも、日本での開発部隊だった仙台ハイランドのガレージが突風で壊れたこと。ニュルブルクリンク24時間レースに参戦し、なんとか完走したこと。世界中のさまざまなサーキットでテストしたこと。

……などなど、懐かしく語った松本氏も来月で定年を迎えるという。

いつか再び戻ってくることを目指して

一同は工場へ移動し、最終生産車のオフライン式に臨む。R35型GT-R最後の1台は、『プレミアムエディションTスペック』。ボディカラーはミッドナイトパープルで、未公表だが既にオーナーは決まっており、日本のユーザーだという。

そして最後の1台はメディアやゲストの前でオフラインし、サプライヤーなどのゲストや工場のスタッフなどと記念撮影も行われた。

最後の1台を前に、サプライヤーなどのゲストや工場のスタッフなどと記念撮影。
最後の1台を前に、サプライヤーなどのゲストや工場のスタッフなどと記念撮影。    田中秀宣

オフライン式に向けて、日産のイヴァン・スピノーザCEOのビデオメッセージも上映された。それによれば、今回のオフライン式はGT-Rとの永遠の別れではなく、いつか再びファンの前に戻ってくることを目指しているという。

現時点で正確な計画は確定していないが、GT-Rは進化し、再び登場する。日産は『GT-R』の名を次世代に向けて再定義することに取り組んでおり、R35から得た知見は次世代GT-Rの開発に不可欠であり、そのレガシーを進化させながら新たな基準を打ち立てることを目指すという。

次期GT-Rは、いつ、どのようなカタチでファンやメディアの前に現れるのか。ひとりのクルマ好きとしては、『R36』が登場する日が1日でも早く来ることを願ってやまない。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影

    田中秀宣

    Hidenobu Tanaka

    写真が好きで、車が好きで、こんな仕事をやっています。
    趣味車は89年式デルタ・インテグラーレ。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事