18年間で約4万8000台生産!R35型日産GT-Rが栃木工場でついにオフライン【永遠の別れではない】

公開 : 2025.08.27 11:45

8月26日、日産自動車の栃木工場でR35型『日産GT-R』の生産が終了し、オフライン式が開催。R35は2007年以来18年間で約4万8000台が生産された、異例のロングセラーモデルとなりました。式典に参加した篠原政明のレポートです。

2007年東京モーターショーで正式発表

8月26日、日産自動車(以下、日産)の栃木工場でR35型『日産GT-R』の生産が終了し、メディアやサプライヤーなどのゲストを迎えてオフライン式が行われた。

2001年の東京モーターショー(以下、TMS)で『GT-Rコンセプト』がお披露目され、2005年のTMSで『GT-Rプロト』というほぼ完成形が登場。そして2007年のTMSで正式発表されて以来、18年間で約4万8000台が生産された。そのうち、日本で約1万7800台、米国で約1万4000台、EU(英国含む)で約8900台のR35型GT-Rが販売されている。

8月26日、最後のR35型日産GT-Rが栃木工場で完成。生産が終了した。
8月26日、最後のR35型日産GT-Rが栃木工場で完成。生産が終了した。    田中秀宣

『誰でも、どこでも、どんな時でも最高のスーパーカーライフを楽しめる』というコンセプトを具現化した新次元のマルチパフォーマンススーパーカーとして、GT(グランドツアラー)性能を実現しつつ、R(レーシング)技術を体現する世界最高クラスのクルマとして誕生。世界中のファンを魅了してきたR35型GT-Rだが、いよいよ生産を終了することになった。

第2世代のGT-R、つまりR32、R33、R34の『スカイラインGT-R』の3世代は、型式やボディスタイルは変わったフルモデルチェンジだったが、プラットフォームやエンジンは基本的に同じだった。だが、第3世代のR35 GT-Rは18年ものロングセラーではあるが、毎年のように小改良を重ねてマイナーチェンジも数回実施。外側をフルモデルチェンジすることなく中身を進化させてきた。

少量生産ロングセラーゆえの問題

では、なぜ生産を終了することになったのだろうか? 世界的なSUV人気や、日本ではミニバン人気に押されてスポーツカーやスペシャルティカーが売れないからだろうか?

R35型GT-Rにもっとも長く携わってきた、日産でシャシーシステム開発グループに属する松本光貴主担は「けっして市場的な理由ではありません。GT-Rはまだ売れると僕は信じています」と語る。

日産自動車の車両計画・車両要素技術開発本部シャシー開発部シャシーシステム開発グループに属する松本光貴主担。
日産自動車の車両計画・車両要素技術開発本部シャシー開発部シャシーシステム開発グループに属する松本光貴主担。    田中秀宣

その理由は、ロングセラーの少量生産車という立ち位置にあった。R35型GT-Rは小改良を重ねてきたとはいえ、基本のプラットフォームやエンジンは18年前のものだ。

現在のさまざまな法規制、排出ガスや騒音、自動ブレーキやカメラといった運転支援装備の装着義務など、これらを対応させるためにかかるコストを上回る利益を出せるほど大量生産できるかと言えば、それはかなり難しいこと。

そしてサプライヤーから供給されるパーツで、もう手に入らない半導体などがあるなど、さまざまな理由があるようだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影

    田中秀宣

    Hidenobu Tanaka

    写真が好きで、車が好きで、こんな仕事をやっています。
    趣味車は89年式デルタ・インテグラーレ。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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