本田宗一郎の夢と情熱が詰まった博物館 ホンダ・コレクション・ホールUK編集部訪問記(後編) さらなる進化とレースでの大活躍

公開 : 2025.11.15 11:45

スピリット201C(1983年)

15年の空白を経て、ホンダはエンジンサプライヤーとしてF1に復帰した。供給先は英国の小規模チーム、スピリットだった。スウェーデン人ドライバー、ステファン・ヨハンソンが駆るこのマシンは英国GPでデビューし、成功の兆しを見せた。しかし、少なくとも当時は優勝とは縁が薄く、強力なツインターボ1.5L V6エンジンを搭載しながらも、チームもヨハンソンもポイントを獲得できなかった。

スピリット201C(1983年)
スピリット201C(1983年)

ウィリアムズFW09(1984年)

前年度世界チャンピオンのケケ・ロズベルグが、ホンダのF1復帰後初の勝利を挙げた。ウィリアムズという実績あるチームとFW09を駆り、ダラスで開催された米国GPで優勝を果たしたのだ。しかし、このマシンは「フライング・フィン(空飛ぶフィンランド人)」と呼ばれたロズベルグでさえ操縦が難しく、シーズン終了時のドライバーズチャンピオンシップでは総合8位に留まった。

ウィリアムズFW09(1984年)
ウィリアムズFW09(1984年)

ウィリアムズFW11(1986年)

FW11はナイジェル・マンセルが1986年シーズンに駆ったF1マシンであり、チームメイトのネルソン・ピケと共にホンダを初のコンストラクターズチャンピオンシップに導いた。パトリック・ヘッドとフランク・ダーニーによる先進的な空力設計に加え、圧倒的なパワーを誇るホンダの1.5L V6ツインターボエンジンを搭載。予選では最大1200ps、レースでは1万2000rpmで800psを発揮した。

ウィリアムズFW11(1986年)
ウィリアムズFW11(1986年)

インディ500優勝マシン(2004年)

ホンダのレース用3.0L V8エンジンは大成功を収め、2004年インディ500で上位7位を独占した。その支配力は圧倒的で、翌年にはトヨタシボレーがインディカーシリーズから撤退。ホンダはその後5年間、唯一のエンジンサプライヤーとなった。

インディ500優勝マシン(2004年)
インディ500優勝マシン(2004年)

ホンダRA106(2006年)

1968年以来初のホンダのワークスF1チームは、2005年にBARチームを買収した際に引き継いだジェンソン・バトンと、フェラーリから移籍のルーベンス・バリチェロをドライバーに迎えた。シーズン序盤は苦戦したが、バトンは表彰台を3度獲得し、ハンガリーGPでは優勝を果たした。これによりホンダチームはコンストラクターズ選手権でシーズン4位となった。

ホンダRA106(2006年)
ホンダRA106(2006年)

ホンダNSXル・マン(1995年)

1995年、史上最も雨の多いル・マン24時間でホンダはGT2クラス優勝、総合8位に輝いた。高橋国光、土屋圭市、飯田章からなる日本人ドライバーチームは、高度なチューニングを施したNSXを駆り、排気量が2倍以上のキャラウェイ・コルベットを打ち負かした。

ホンダNSXル・マン(1995年)
ホンダNSXル・マン(1995年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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