本田宗一郎の夢と情熱が詰まった博物館 ホンダ・コレクション・ホールUK編集部訪問記(後編) さらなる進化とレースでの大活躍

公開 : 2025.11.15 11:45

栃木県のモビリティリゾートもてぎには、ホンダの歴史が詰まったホンダ・コレクション・ホールが隣接しています。この記事ではドリームD型から世界を席巻したF1マシンまで、貴重な展示車両の中から一部を抜粋して紹介します。

ホンダ・バラードスポーツCR-X(1983年)

CR-Xの初代モデルで、若年層に愛されたスポーティクーペである。バラードの派生モデルとして登場し、後期型のスポーツモデルでは3バルブヘッドのオールアルミ製1.6L直列4気筒エンジンを搭載、135psを発揮した。

ホンダ・バラードスポーツCR-X(1983年)
ホンダ・バラードスポーツCR-X(1983年)

ホンダ・ビート(1991年)

ピニンファリーナがデザインに関わったとされるビートは、1991年8月に逝去した本田宗一郎氏が生前最後に見送った市販車である。ミドシップ後輪駆動の2人乗りオープンカーで、1970年に生産終了したS800以来のスポーツカーとなった。656cc直列3気筒エンジンとベルト式トランスミッションを搭載。車重760kg、最高出力64ps、最高速度135km/h(リミッター)で、とにかく運転が楽しいクルマだ。

ホンダ・ビート(1991年)
ホンダ・ビート(1991年)

ホンダ・インサイト(1999年)

1997年に登場したトヨタプリウスに対抗し、ホンダはJ-VXコンセプトを基にしたハイブリッド車インサイトを投入した。『インテグレーテッド・モーター・アシスト(IMA)』技術を初めて採用し、エンジンとトランスミッションの間に電気モーターを配置している。空気抵抗係数Cd値0.25と、当時の市販車の中で最も空力に優れたモデルだった。

ホンダ・インサイト(1999年)
ホンダ・インサイト(1999年)

ホンダ・レジェンド(1985年)

レジェンドはホンダの高級フラッグシップモデルであり、ローバーSD1の後継車を求めていた英国のローバー社との提携により生まれた。英国ではそれぞれレジェンドとローバー800(米国ではスターリング)という名で販売された。当初は2.5L V6エンジンの前輪駆動を採用。レジェンドは高い信頼性を誇ったが、残念ながらローバー800はそうではなかった。

ホンダ・レジェンド(1985年)
ホンダ・レジェンド(1985年)

ホンダ・ドリームD型(1949年)

これがホンダの原点だ。同社初の本格オートバイである。これ以前、本田宗一郎氏は軍用無線機の動力源に使われていた小型エンジンを自転車補助動力として流用していた。ドリームD型は98cc単気筒2ストロークエンジンと、量産に適したチャンネルフレームを採用した。

ホンダ・ドリームD型(1949年)
ホンダ・ドリームD型(1949年)

ホンダRAシリーズF1マシン(1964~68年)

ホンダは1964年に初のF1マシン、RA271を製作した。その後、1966年用の新しい3.0Lエンジンに対応するため、RA273が誕生した。V型12気筒はそのままに、縦置きレイアウトに変更されたが、重量が増し、競争力に欠ける結果となった。

1967年には軽量新シャシーを採用したRA300が開発され、英国人ドライバーのジョン・サーティースがイタリアGPで優勝を果たした。翌年のRA301は出力向上を果たしたが、信頼性の低さがチームを悩ませ、ホンダは1968年シーズン終了をもってF1から撤退した。

ホンダRAシリーズF1マシン(1964~68年)
ホンダRAシリーズF1マシン(1964~68年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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