なぜジャパンモビリティショーは大躍進したのか?(前編)ドイツと異なる事情【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #2】

公開 : 2025.12.15 11:25

かつての活気を失ってしまった自動車ショー

新型コロナウィルスによるパンデミックの影響を受けたのはドイツや日本だけでなく、長い伝統を誇っていたジュネーブ・ショーも2019年を最後に開催されなくなってしまった。

そのほかの国際自動車ショーでいえば、パリ・サロンこそ従来どおりの内容で開催されているものの、北米のデトロイト・ショーも2019年を最後に大きく様変わりして規模を大幅に縮小。各国の自動車ショーを取材して回っていた私も、ショーのために海外出張することは久しくなくなっていた。

東京ビッグサイトには10月30日から11月9日までの会期中に101万人が来場した。
東京ビッグサイトには10月30日から11月9日までの会期中に101万人が来場した。    ジャパンモビリティショー2025

なぜ、自動車ショーはかつての活気を失ってしまったのか。私自身は環境問題が自動車産業界に与えた影響が大きかったと捉えている。

地球温暖化を防止するために自動車のCO2排出量削減が求められるようになると、各メーカーは環境に優しい電動車をショーに出展するようになった。あわせて、運転する喜びとは無縁のピープルムーバー的な車両が各ブースのメインステージを飾るようになり、人やモノの移動のラストマイルを支える電動車いすや電動スクーターなどが多数展示されるとともに、自動運転やカーシェアリングなどといった言葉が脚光を浴びるようになった。

そうした変化が2017年から2019年にかけて急速に進んだところで新型コロナウィルスが蔓延し、少なくない数の国際自動車ショーに『留めを刺した』というのが私の見方である。

2023年にジャパンモビリティショーへと衣替えした旧東京モーターショーも、結局のところ、前述した『新時代の自動車ショー』の流れを汲んだものだった。結果的には、無料スペースを数多く用意し、そこを訪れた観客もカウントすることで入場者数をなんとか100万人の大台に乗せることに成功したものの、正直、会場で熱量を感じることはほとんどなかった。

IAAのもう少し異なる事情

今年9月にミュンヘンで開催されたIAAでも、あまり熱量は感じられなかったが、それはもう少し異なる事情によるものだった。

ミュンヘンのIAAも電動車が主体で、走りを強く意識したモデルはポルシェ911ターボSくらい。あとは実用的ではあっても、あまりエキサイティングとはいいかねるモデルを中心とした出展だった。そのせいかどうか、各メーカーの記者会見も熱気を欠いたもので、決して広いとはいいかねる各ブースに集まった報道関係者の数もかつてに比べれば大幅に少なくなっているように感じた。

今年9月にミュンヘンで開催されたIAAでも、あまり熱量は感じられなかった。
今年9月にミュンヘンで開催されたIAAでも、あまり熱量は感じられなかった。    大谷達也

こうした変化には、主催者が目指した新しい方向性も関係しているようだった。

というのも、メイン会場となったメッセ・ミュンヘンは、ミュンヘン中心部から電車で30分ほど離れた郊外に位置していた。そしてミュンヘン市中心部には屋外の展示スペースを設け、こちらは無料で見学できる2段構えのショーとして開催されたのだ。

つまり、市中心部の無料スペースは一般の観客を対象とするB to C、メッセ・ミュンヘンのメイン会場は自動車産業関係者が商談を行うB to Bを主な目的としていたのだ。

しかし、今年のジャパンモビリティショーは完全に違った。前述のとおり、記者会見が行われたプレスデーには日本だけでなく欧米やアジアからも報道陣が訪れたほか、一般公開日も多くの観客で賑わった。

この違いは、いったいどこから来たのだろうか?

(以下、なぜジャパンモビリティショーは大躍進したのか?後編に続きます)

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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