なぜジャパンモビリティショーは大躍進したのか?(後編)VWとAMGトップの言葉【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #2】

公開 : 2025.12.15 11:45

エンジニアと自動車専門誌編集者という経歴で膨大な取材量を持つ大谷達也による、『どこにも書いていない話』を執筆する不定期連載です。第2回はジャパンモビリティショーの大躍進がテーマ。その後編です。

かつて世界中で行われた自動車ショーに近い形態

今年のジャパンモビリティショーは『ワクワクする未来を、探しに行こう!』がコンセプトだった。

これだけを聴くと、前回のジャパンモビリティショーとあまり内容が変わらないようにも思えるが、個人的には、電動車か否かに関わらず走りを楽しむための自動車が主体で、ここにミニバンが華を添えているように思えた。その意味でいえば、かつて世界中で行われた自動車ショーに近い形態だった。

日本車メーカーのみならずメルセデス・ベンツ、BMWグループ、ヒョンデ、BYDなどが出展した。
日本車メーカーのみならずメルセデス・ベンツBMWグループ、ヒョンデBYDなどが出展した。    ジャパンモビリティショー2025

こうしたショーのあり方は、主催者自身が志向した方向性であったと同時に、世界的なエンジン車への揺り戻しが影響したともいえる。

そうした時代の変化は、IAAとジャパンモビリティショーに出展する自動車メーカーの数にも如実に反映されていた。

今年のIAAに出展した欧州の自動車メーカーはメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン・グループ、BMWグループくらいで、あとはオペルボルボが小さなブースを構えていた程度。それ以外の自動車メーカーはいずれも中国系ばかりだった。

一方のジャパンモビリティショーには日本車メーカーのみならずメルセデス・ベンツ、BMWグループ、ヒョンデ、BYDなどが出展。IAAよりもずっと国際色が豊かなように思えた。

こうした違いを目の当たりにして、私はふたつのことを再確認した。

ひとつは、なんだかんだいって、元気に走る楽しそうなクルマが多くの人々から愛されているということ。そしてもうひとつは、自動車ショーというフォーマットにマッチしているのは、そうした『元気に走る楽しそうなクルマ』であることだ。

いずれにしても、ジャパンモビリティショーがいち早くそうした方向性を捉えて会場に熱気を取り戻したことが嬉しかったし、そうしたジャパンモビリティショーの姿を評価して海外の自動車メーカーや取材陣が数多く訪れたことも日本人として誇らしかった。

フォルクスワーゲンCEOが語るゴール

そうした中、ジャパンモビリティショーにあわせてドイツ自動車産業界からふたりの要人が来日し、日本のメディア関係者の取材に応じてくれたので、その様子を紹介しよう。

ひとりは、フォルクスワーゲンのCEOであるトーマス・シェーファー。彼は日本人メディアを対象とするグループインタビューの冒頭でこう挨拶した。

IAAで筆者が撮影したフォルクスワーゲンのCEOであるトーマス・シェーファー。
IAAで筆者が撮影したフォルクスワーゲンのCEOであるトーマス・シェーファー。    大谷達也

「3年前にCEOに就任したとき、私はひとつのゴールを設定しました。それは、フォルクスワーゲンというブランドをかつてない高みに押し上げる、というものです。フォルクスワーゲンは伝統的に高い評価を得てきました。その理由はデザイン、品質、使い勝手、ユーザーエクスペリエンスなどにあったと考えています。

先のミュンヘン・モーターショーでは、電動の都市型ファミリーカー(ID.ポロならびにID.クロス)をご紹介しましたが、これらは真のフォルクスワーゲンであり、何百万人もの人々にお届けできるものと信じています」

私は以前、フォルクスワーゲン・グループのトップがヘルベルト・ディースからオリバー・ブルーメに代わったことで、フォルクスワーゲンはコスト重視から品質重視へと大きく舵を切り、その姿勢が市場でも高く評価され始めているとの主旨の記事をAUTOCAR JAPANに寄稿した。

このブルーメの命を受けてフォルクスワーゲンの改革に取り組んでいるのがシェーファーなのである。そして、ブルーメの意向を汲んで開発されたEVの第1弾が今年3月に発表されたID.エブリー1であり、これに続く形でID.ポロとID.クロスが登場したと理解している。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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