なぜジャパンモビリティショーは大躍進したのか?(前編)ドイツと異なる事情【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #2】

公開 : 2025.12.15 11:25

エンジニアと自動車専門誌編集者という経歴で膨大な取材量を持つ大谷達也による、『どこにも書いていない話』を執筆する不定期連載です。第2回はジャパンモビリティショーの大躍進がテーマ。その前編です。

凄まじかった会場の熱気

ジャパンモビリティショー2025が閉幕してから、1ヵ月以上が過ぎた。

会場となった東京ビッグサイトには10月30日から11月9日までの会期中に101万人が来場したという。前回の111万人には及ばなかったが、無料で見学できるスペースが実質的になくなったことを考えれば、むしろ大躍進と評価すべきだろう。

一般公開日も大混雑だったセンチュリー・ブース。一時は40分待ちの表示も。
一般公開日も大混雑だったセンチュリー・ブース。一時は40分待ちの表示も。    ジャパンモビリティショー2025

それにしても、会場の熱気は凄まじかった。

そもそも10月29日にメディア向けに行われた記者会見の混雑ぶりは目を見張るほどで、話題になったセンチュリーの記者会見にはブース内が満員とのことで内部には入れず、狭い入口を通じて中の様子を窺うしかなかった。

いや、センチュリーだけでなく本家のトヨタレクサス、さらにはホンダ日産に至るまで、どのブースも立錐の余地もない混雑ぶりで、ステージにはまるで近づけない状況だった。

一般公開日の人出も驚くほどで、11月5日の9時40分ごろにトヨタ・グループがブースを構える南棟を訪れたところ、300mほどある通路の端から端まで、オープンを待つ観客が5列か6列ほどでびっしりと並んでいたのには度肝を抜かれた。この日、夕方17時近くにも南棟を訪れた時にはまだ大変な人ごみで、人気のセンチュリー・ブースは40分待ちと表示されていたので入場を諦めることにしたくらい。

もっとも、この待ち時間は実際よりもやや長めに表示されていたらしく、たとえ40分と表示されていても実際には15分か20分程度で入場できたという話を知人から聞いた。表示よりも早く入場できれば観客の満足度は高まるだろうから、これはうまい戦略といえる。

IAAも2023年にミュンヘンで再出発

そのおよそ2ヵ月前、私はミュンヘンで行われたドイツの自動車ショー、『IAA』を取材していた。日本の自動車ショーが東京モーターショーからジャパンモビリティショーへと名前を変えたのと同じ2023年に、IAAはそれまでのフランクフルトからミュンヘンに会場を移し、再出発を切っていたのだ。

かつては私もフランクフルト・ショーに足繁く通ったものだ。当時、メルセデス・ベンツフォルクスワーゲンは街のディーラーよりもはるかに大きな規模のブースを出展。しかも2階建てや3階建てになっていることも珍しくなかった。

今年もミュンヘンで行われたドイツの自動車ショー、『IAA』会場の様子。
今年もミュンヘンで行われたドイツの自動車ショー、『IAA』会場の様子。    大谷達也

もちろん、出展していたのはドイツの自動車メーカーだけでなく、ヨーロッパ各国やアメリカ、日本からも参加する自動車メーカーは少なくなかった。従って1日でショー全体を取材するのはとうてい不可能で、2日から3日かけて各ブースを回るのが常だった。

そんなフランクフルト・ショーの人気に翳りが見え始めたのは2017年のこと。そして2019年ははっきりと来場者数が減っているように感じたほか、出展を控える自動車メーカーも現れ始めた。その影響か、会場の一部に黒幕が張られ、内部に入れないスペースも散見されたことが強く印象に残っている。

そして2021年は新型コロナウィルスの影響で、フランクフルト・ショーも東京モーターショーも開催を見合わせ。2年後の2023年にはIAAがフランクフルトからミュンヘンに会場を移し、東京モーターショーはジャパンモビリティショーと名前を変えて再出発を果たしたのである。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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