【渡辺敏史がラストラン】レクサスLCと名機2UR-GSEが終焉間近!8年をかけて極まった乗り味を阿蘇路で味わう

公開 : 2025.12.17 12:25

2007年、レクサスがISFのために設えた5L V8ユニット『2UR-GSE』、その終焉がじわじわと近づいています。渡辺敏史が阿蘇路で、レクサスLC500 Sパッケージに乗り、恐らくは最後となるドライブを味わいました。

ISFのために設えた5L V8ユニット

2007年、レクサスがISFのために設えた5L V8ユニット、その終焉がじわじわと近づいている。

この原稿を書いている時点でレクサスのWEBサイトを覗くと、RCFとIS500については販売終了が既に告知されており、LC500及びそのコンバーチブルについては、納期が5.5〜7.5ヵ月と表示されている。が、こちらも店舗によっては受注を終了しているところも多いと聞く。

筆者が今回ドライブしたレクサスLC500 Sパッケージ。
筆者が今回ドライブしたレクサスLC500 Sパッケージ。    レクサス

トヨタの高性能エンジンと縁の深いヤマハ発動機との共同開発となる2UR-GSE型、その販売終了の理由は、エンジン本体というよりもそれを支える電子プラットフォームの、サイバーセキュリティなど最新の法規対応が難しいという理由があるようだ。

日本のメーカーが開発するV8エンジンは、そもそもラグジュアリーサルーンに用いられるものとしての側面が強かった。実際、2UR-GSEも元ネタはLS600hが搭載する2UR-FSE型だ。

それをベースに高回転、高出力化や冷却、循環系の強化などチューニングを隅々まで加えることで1本立ちさせた。4気筒や6気筒ならまだしも、大排気量、マルチシリンダー、自然吸気というイジるには手数も多く負荷も大きい骨格をわざわざスポーツユニットとして仕立てた例は日本の場合、これをおいて他にはないだろう。

ちなみにLFAに搭載される1LR-GUE型は同時期に登場しているが、1日1基のハンドビルドゆえ、量産という枠にはあたらない。

最後になるかもしれない

もしかしたら最後になるかもしれない、そんな2UR-GSEに触る機会を得たのは、レクサスが定期的に開催している『サーキットエクスペリエンス』の取材に向かう道すがらだった。

熊本空港とオートポリスとの往復に用意いただいたのは『レクサスLC500 Sパッケージ』だ。ちなみにこのサーキットエクスペリエンスは大舵角での旋回や全制動、レーシングコースでの先導走行など、非日常的な速度域でのクルマの挙動を体験するもので、得られた経験値は普段のドライビングの余裕にも繋がるだろう。

熊本空港とサーキットエクスペリエンス会場のオートポリス往復で試乗。
熊本空港とサーキットエクスペリエンス会場のオートポリス往復で試乗。    レクサス

1泊ぶんの荷物を入れたカバンを後ろに積んで、ナビをセットしスルスルと走り出す。LCは大人2名のグランドツーリングをカバーするできる積載性を前提としているから、後席に荷物や上衣を放り込んだ上で、トランクルームには機内持ち込みサイズのスーツケースをふたつ積むことも余裕だ。

もちろん小柄な人なら座ることも出来なくはないが、立派な設えはあくまでそこを物置きに使うという粋のためにある。そういう、ビッグサイズのクーペはもはやドイツのプレミアム勢でさえ作り続けることが難しい。そうやってマーケットが極端に萎む中でも、LCは淡々と販売を続けてきた。

LC500はRCFやGSFなどのいわゆる『F銘柄』とは異なり、サーキットをきっちり走り込むという設えとは一線を画している。それでもGPSと連動してリミッターをカットするサーキットモードを備えるなど、然るべき状況ではしっかり応えてくれるドライビングプレジャーを備えていることは、以前クローズドコースでの試乗でも確認済みだ。

そういう性能的な余剰も、自らの振る舞いの余裕のために纏うのがこの手のクルマの常套でもある。

記事に関わった人々

  • 執筆

    渡辺敏史

    Toshifumi Watanabe

    1967年生まれ。企画室ネコにて二輪・四輪誌の編集に携わった後、自動車ライターとしてフリーに。車歴の90%以上は中古車で、今までに購入した新車はJA11型スズキ・ジムニー(フルメタルドア)、NHW10型トヨタ・プリウス(人生唯一のミズテン買い)、FD3S型マツダRX-7の3台。現在はそのRX−7と中古の996型ポルシェ911を愛用中。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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