ジャパンモビリティショー2025閉幕!2035年ターゲットで際立った個性!入場者数100万人の壁クリア #JMS2025 【注目車画像200枚】

公開 : 2025.11.11 07:25

ジャパンモビリティショー2025が11月9日に閉幕しました。主催者発表の総入場者数は101万人で、2年前のJMS初回は111万人でしたが、主催者目標の100万人の壁はクリアした形です。桃田健史が総括します。

やっとジャパンモビリティショーが地に足がついた

ジャパンモビリティショー2025(以下、JMS2025)が11月9日に閉幕した。

10月29日と30日午前がプレスデー、31日午後から一般向け公開となり、主催者発表で総入場者数は101万人。2年前のJMS初回は111万人だが、主催者目標の100万人の壁をクリアした。

ブランド化が発表された『センチュリー』のクーペコンセプト。
ブランド化が発表された『センチュリー』のクーペコンセプト。    上野和秀

筆者はプレスデー2日間のほか、主催者オフィシャルプログラム『自動車ジャーナリスト(AJAJ)と巡るガイドツアー』のガイド役を担当するなどして、様々な角度からJMS2025を体感した。

その上で「やっとJMSが地に足がついた」という感想を持った。

2年前のJMSは、1954年を起源とする『東京モーターショー』からの転換が命題だった。つまり、自動車からモビリティへの転換だ。そこに『2050年カーボンニュートラル』という、国と自動車産業界の長期目標が重なった。

そのため、展示の多くが『2050年ターゲット』となり、独創的なデザインコンセプトなども登場して話題となった反面、「抽象的だ」、「もっと実際のクルマが見たい」といった厳しい意見があったもの事実だ。

その反省からJMS2025では、『東京フューチャーツアー2035』に代表されるように、自動車メーカーブースも『2035年ターゲット』としたことで、来場者にとって商品としてのクルマの未来イメージが掴みやすくなり、結果的に各ブランドの個性が際立った印象だ。

本物を見る目がある来場者の注目を集めた

最も注目されたのは、南館の奥手に設置された『センチュリー』ブースだろう。

次世代クーペモデル登場というだけではなく、トヨタ、GR、レクサス日野に次ぐ5番目のブランドとして衝撃的に誕生した。さらに、ダイハツがトヨタと完全融合した展示も、トヨタ・グループ全体の未来を実感できる手法だった。

親会社の台湾鴻海(ホンハイ)の小型EV『モデルA』をベースとする『シャープLDK+』。
親会社の台湾鴻海(ホンハイ)の小型EV『モデルA』をベースとする『シャープLDK+』。    シャープ

ブースのコンセプトでは、スバルが『パフォーマンス』と『アドベンチャー』の2本柱を明確にしたブランド戦略が分かりやすく体感できた。

単一モデルとしては、16年ぶりのフルモデルチェンジとなる『日産エルグランド』、
満を持して登場した軽EVのコンセプト『BYDラッコ』、社内での俗称『ブルドック(シティターボ)II』である『ホンダ・スーパーワン・プロトタイプ』、親会社の台湾鴻海(ホンハイ)の小型EV『モデルA』をベースとする『シャープLDK+』、またメルセデス・ベンツの次世代電動車のスターティングポイントである新型『CLA』など、本物を見る目がある来場者の注目を集めた。

JMS2025を主催する日本自動車工業会の片山正則会長(いすゞ会長)は、JMS2025開催前の定例会見の中で、筆者から「JMSそのものを今後、どう育てていくのか?」という質問に次のように答えている。

「(業界全体で)常に議論しているが、正直なところ、我々はまだ答えを持ち合わせていない。だが(IT関連を含めて)様々なパートナーとの連携が深まっている。(モビリティの未来に向けて)種を撒き、水をやり、将来大きな花を咲かせたい」

いまから、JMS2027が楽しみだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 撮影

    山田真人

    Makoto Yamada

    1973年生まれ。アウトドア雑誌編集部からフリーランスカメラマンに転身。小学5年生の時に鉄道写真を撮りに初めての一人旅に出たのがきっかけで、今だにさすらいの旅をするように。無人島から海外リゾート、子どもからメガヨットと幅広い撮影ジャンルを持つ。好きな被写体は動くものと夕陽。
  • 撮影

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事