メルセデスのマイナー車からプジョー205ターボ16まで フランスが誇る世界最大の自動車博物館 シテ・ド・ロトモビル訪問記(後編) 

公開 : 2026.01.25 11:45

パナールCD(1962年)

パナールは1962年のル・マン24時間レース向け車両の設計をフランス人技術者シャルル・ドイチュ氏(1911-1980)に依頼した。驚異的な速さで作業を進めたドイチュ氏は5台のCDのプロトタイプを製作。うち1台はスチール製ボディ、残り4台は複合材ボディを採用した。パナールの実績ある空冷水平対向2気筒エンジンの進化版を搭載し、前輪を駆動した。努力は実を結び、4台のうち1台(写真)が同レースでクラス優勝を果たした。後にCDは量産モデルへと発展し、159台が生産された。

パナールCD(1962年)
パナールCD(1962年)

プジョー205ターボ16(1985年)

プジョーはFIAグループBカテゴリー参戦用に、コンパクトカーの205をラリーモンスターのターボ16へと変貌させた。1984年から1986年にかけて十数回の優勝を収め、当時最も成功したラリーカーの1つとなった。1986年シーズン後にグループBは廃止となったが、ターボ16に引退するつもりはなかった。砂漠レースに向け数点の改良を施され、1987年と1988年のパリ・ダカール・ラリーを連覇したのだ。

プジョー205ターボ16(1985年)
プジョー205ターボ16(1985年)

フォードRS200(1986年)

フォードはFIAグループBカテゴリー参戦のためRS200を開発し、前述のプジョー205ターボ16をはじめとする同クラスのマシンと直接対決した。ミドシップエンジン、四輪駆動のモンスタークーペで、リライアント社製のファイバーグラスボディを採用している。リライアントは何十年も地味な三輪車を販売してきた企業だ。フォード・モータースポーツ本部では、エンジニアの手でターボチャージャー付き1.8L直列4気筒エンジンがチューニングされ、最高出力は450psに達した。

RS200は悲劇的な事故を2度起こし、これがきっかけでFIA当局は1986年シーズン終了後にグループBレースを禁止した。フォードは1987年に計画していらエボリューションモデルの開発を中止したが、ホモロゲーション取得に必要な市販モデルを200台生産する時間的余裕はあった。

フォードRS200(1986年)
フォードRS200(1986年)

(翻訳者注:この記事に掲載されている内容は、AUTOCAR英国編集部の訪問時のものです。シテ・ド・ロトモビルの詳細は博物館公式サイトをご参照ください。)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

フランスが誇る珍車コレクション シテ・ド・ロトモビル訪問記の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事