シボレー・コルベット・スティングレー vs ジャガーE-タイプ vs トヨタ2000GT(1)

公開 : 2017.09.26 18:40  更新 : 2017.09.27 20:48

「いちもにもなく大好き!」という方、多いでしょうね。3台の美しきモデルをフィーチャーし、当時それぞれがどのように戦ってきたか? を探ります。まずはシボレー・コルベット・スティングレーからです。

もくじ

E-タイプ 2000GT そしてコルベット
ガキのころの夢を叶えた
いいところ、悪いところ

E-タイプ 2000GT そしてコルベット

戦後の1950年代から「自由に生き、愛する」時代へと移り変わった1960年代になって、ジャガーからE-タイプが産声を上げた。

1961年、このクルマがデビューした当初は、流麗なボディラインとロケットのような加速、他のクルマよりもリーズナブルな価格の組み合わせで、人々の心を一瞬にして奪っていった。アメリカにももちろん、まとまった数が輸入された。

一方の日本も戦後の苦境からなんとか脱却し、気づけば1960年代中頃のアメリカでトヨタフォルクスワーゲンに次ぐ第二の外国車メーカーに上り詰めていた。

ただしそんな栄誉ある地位に値するだけの高級感が今ひとつ足りなかったことも事実。その頃からクラウンやコロナにはプレミアムな印象を与えるための工夫が見られるようになった。

その流れで始まったのが280Aプロジェクト。1965年に世間の耳目をほしいままにしたトヨタ2000GTの開発コードだ。のちにヨーロッパ勢やアメリカ勢は慌てることになる。

発表された数字を見るかぎり、手仕事によって作られた337台のうち、62台がアメリカに輸出されたはずだ。割合から考えるとアメリカはメインターゲットではないとも思えるのだが、当時のトヨタは年間1000台の製作を目標としていたのだ。

しかし米国の高利回りのマーケットにおいて、トヨタとジャガーを苦しめたのは、言うまでもなく関税である。それだけではなく、センセーショナルなボディを身にまとった、1963年式シボレー・コルベットC2スティングレイも2台にとっては厄介な存在となった。

ゾラ・アーカス・ダントフによって、C2のリアエンドには横置きのリーフスプリングを採用。堅牢なラダーフレームには、デザイン部門を率いたビル・ミッチェルの元でラリー・シノダが線を引いた、美しくもエッジが効いた頑強なボディが被さる。

V型8気筒エンジンが組み合わされ、初版から最終モデルまで、実に14種類のチューニングが施された。このモデルは2代目に当たるのだが、3代目の「コークボトル」型のC3が出るまでに加えられたオプションはもはや把握できないほど。よほどの知識がない限り、モデルごとの価値はジャッジできないとさえ言われている。

関連テーマ

おすすめ記事

 
最新試乗記

シボレーの人気画像