ジェリー・マクガバン 新型ディフェンダーのデザイナーにインタビュー 前編

公開 : 2019.11.02 18:50

ランドローバーへの帰還

当時のローバーグループでは比較的小さな役割しか与えられていなかったマクガバンだが、スポーツカーのMGFと、非常に独創的なモデルだった1997年デビューの初代フリーランダーは彼の作品だ。

初代フリーランダーは自らの力で欧州における手ごろなファミリー向けSUV市場を創り出すとともに、7年間もその市場をリードし続けることに成功している。

新しい663型ディフェンダーにはDC100では見られなかった無骨さが感じられる。
新しい663型ディフェンダーにはDC100では見られなかった無骨さが感じられる。

その後、デトロイトへと移ると、高く評価された一連のリンカーンのコンセプトモデル送り出しているが、決断の遅い経営に嫌気がさしたマクガバンは2004年にランドローバーへと復帰している。

復帰後、暗黙知に関する先端デザインの責任者を務めると、2006年には引退間近のジョフ・ユーペックスの後を受けてデザイン責任者へと就任している。

「当時でさえ、すでにディフェンダーのモデルチェンジが議論されていました」と彼は言う。「ですが、それは当時のテクノロジーを活用することでアップデートを図る、単なるフェイスリフトに過ぎなかったのです」

マクガバンは長年受け継がれてきたデザインバイブルと呼ばれる分厚い本のことを思い返している。この本のなかには、長年にわたってランドローバーが守り続けてきた、レンジローバーのクラムシェルボンネットや、50対50のグリーンハウス(「初代レンジローバーは動く展示室の様でした」)、レンジローバーのコーナーが垂直に切り立ったボンネットといったデザイン要素やDNAが記録されていた。

イヴォーク誕生の立役者

新たにデザイントップに就任したマクガバンは、いかにこうした要素を「現代的」なものへと進化させていくかという決断がランドローバーには求められているのだと考えた。

そして、多くの議論とさまざまな検討の結果が、現在のディフェンダーとディスカバリー、そしてレンジローバーのラインナップと、それぞれに補完的なモデルを加えた3つのシリーズ戦略であり、いまもこの戦略は進行中だ。

イヴォークの「必然のライン」に妥協はなかった。
イヴォークの「必然のライン」に妥協はなかった。

デザイン責任者としてのマクガバン初期のもうひとつの大きな成果は、大きな影響を及ぼすこととなったLRXコンセプトの発表であり、現在ジャガーでデザイントップを務めるジュリアン・トムソン率いるアドバンスドチームが創り出したこのコンセプトモデルが、2011年のレンジローバー・イヴォーク誕生へと繋がっている。

マクガバンの功績は、このデザインが時代を変革することになることを理解し、決してデザインのコアな部分を変更することなく量産化すべきだと執拗に主張したことにある。

「後方視界の悪さを批判する向きもありました」と彼は言う。「そうした批判は正しかったのかも知れません。確かに素晴らしい視界ではありませんでした。ですが、ベルトラインを高く設定し、ルーフを低く構えたデザインはイヴォークのスタイリングにおけるキーでした。ですから、このデザインが気に入らなければ、他のクルマを買えば良いと言ったのです」

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