【たった1度の優勝で散った】フォーミュラ1のレーサーまとめ 後編

公開 : 2019.12.21 20:50  更新 : 2020.12.08 10:56

華々しいF1レースで活躍した、歴史に名を残すドライバーたち。認知度とは裏腹に、優勝経験は1度だけというドライバーも少なくありません。熾烈なF1サーカスの中で、貴重な優勝を掴み取ったドライバーをご紹介しましょう。

もくじ

ロバート・マクレガー・イネス・アイルランド(1961年アメリカGP)
ピーター・ゲシン(1971年イタリアGP)
フランソワ・セベール(1971年アメリカGP)
グンナー・ニルソン(1977年ベルギーGP)
ジャン・アレジ(1995年カナダGP)

ロバート・マクレガー・イネス・アイルランド(1961年アメリカGP)

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:Motorsport images(モータースポーツ・イメージズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
スコットランドをルーツに持つ英国ヨークシャー生まれのイネス・アイルランド。パーティ騒ぎが大好きだったような彼は、1954年に相続で引き受けた古いベントレーでレースを始める。

イネス・アイルランドはチーム・ロータスでは初めてとなるF1優勝を、ワトキンズ・グレン・サーキットで開かれたアメリカ・グランプリで挙げている。ロータスをドライブしてから3年目の、1961年だった。

ロバート・マクレガー・イネス・アイルランド(1961年アメリカGP)
ロバート・マクレガー・イネス・アイルランド(1961年アメリカGP)

ワールド・チャンピオンには絡んでいなかったレースでの優勝だったこともあり、彼は表彰台に立つもロータスでの地位を固めることができなかった。チーム・ロータスを率いていたコーリン・チャップマンは、翌年イネス・アイルランドを放出してしまう。

ひどいことにイネス・アイルランドがロータス解雇を知るのは、ロンドン・モーターショーで偶然に部外者から聞いた話がきっかけだった。コーリン・チャップマンは翌年力を注ぐべきはジム・クラークだと判断。もとチームメイトとの関係にも深い亀裂が残り、最後まで修復されることはなかった。

ジム・クラークは1968年にレース中の事故で死亡するが、イネス・アイルランドはジムとの関係を最後まで修復できなかったことを深く悔やんだという。

マニアな小ネタ

イネス・アイルランドはF1を引退後、1984年にはデイトナ24時間レースでポルシェ924カレラGTRをドライブしている。

ピーター・ゲシン(1971年イタリアGP)

英国生まれのレースドライバー、ピーター・ゲシンが1971年のイタリア・グランプリで挙げた勝利は、まぐれと呼ばれても仕方ないかもしれない。長いF1の歴史を見ても、レースで1周もリードすることなく優勝を挙げた唯一のドライバーなのだ。

ゴール間際まで5台のマシンで優勝争いが繰り広げられ、BRMをドライブしていたゲシンは、ロニー・ピーターソンを0.01秒という僅差で下し、優勝した。優勝したゲシンのBMRから5位のマシンまでのタイム差はわずか0.61秒という混戦だった。

ピーター・ゲシン(1971年イタリアGP)
ピーター・ゲシン(1971年イタリアGP)

2004年のインタビューでも答えているが、ゲシンはレースが終わって結果を聞かされるまで、優勝の確信は持てていなかったという。「イタリア・グランプリはとても興奮しましたね。ゴールラインを超えた時、若干わたしの方が早かったように思えたので、思わず腕を上げたんです」

その後、ブランズ・ハッチで開かれたノンタイトルのF1レース「ビクトリーレース世界選手権」でも勝利を上げるものの、チームメイトのジョー・シフェールがクラッシュで亡くなったため、大きな話題には上がらなかった。

ゲシンでのF1でのキャリアは1972年で終了。1974年までF1にスポット参戦をしながら、F-5000で活躍を続けた。

マニアな小ネタ

1973年のブランズ・ハッチで、シェブロンのF-5000マシンを駆るゲシンは、混走したF1マシンを破り優勝している。

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