荘厳なホールに100台のお宝 ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクション(1) 珍な6輪マシンも

公開 : 2025.12.13 17:45

半世紀に渡るウィリアムズのF1での活躍を実感する、ヘリテージ・コレクション リアにタイヤ4本を並べたFW08B マンセルが優勝したホンダ・エンジンのFW11 UK編集部が荘厳なホールへ

ウィリアムズの半世紀に渡るF1での活躍

ロンドンの西、オックスフォードシャー州に拠点を構えるウィリアムズの敷地には、聖域と呼べるホールがある。ウィリアムズ・ヘリテージが有する、100台ほどの貴重なF1マシン・コレクションが展示されている場所だ。

ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング社の創業者、故フランク・ウィリアムズ氏と、共同創業者で技術者のパトリック・ヘッド氏が率いたチームによる、半世紀に渡る活躍をつぶさに実感できる。その殆どが、走行可能な状態にあるという。

ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクションの様子
ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクションの様子    マックス・エドレストン(Max Edleston)

英国編集部を迎えてくれたのは、元F1ドライバーのカルン・チャンドック氏。「10年ほど前にフランクさんの息子、ジョナサン・ウィリアムズさんが、ウィリアムズ・ヘリテージを立ち上げたんです」。と説明する。

「彼はクライアントのために、歴代のマシンを整理したいと考えていました。象徴的なマシンを、デモ走行させたいとも希望されていたんです」

レーシングカートの購入はF1を始めてから

2010年にスペインのF1チーム、ヒスパニア・レーシング(HRT)へ加わったカルンだが、その経歴は少し特殊だ。「インドには、ゴーカートなんてありませんでした。テレビでF1レースが放映されたのは、1993年が初めてなくらい」

「でも、自分にはモータースポーツが身近でした。父(ヴィッキー・チャンドック氏)はラリードライバー。インド初のサーキットを建設した、グループの1人です」

ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクションのコーチドライバー、カルン・チャンドック氏
ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクションのコーチドライバー、カルン・チャンドック氏    マックス・エドレストン(Max Edleston)

「わたしは、2001年にフォーミュラ・アジアへ参戦。F3とGP2を数年経験し、F1に挑んだんです。レーシングカートを買ったのは、F1を始めてからですよ」。と笑う。

「充分なテストもなかったので、相当な集中力が必要でした。自宅から近かった、カート用サーキットまでの約50kmを自転車で走り、レースを2時間戦い終えて、自転車で帰るようなスケジュールでしたね」

リアにタイヤ4本が並んだFW08B

ドラマチックにライティングされたホールを、カルンが案内する。天井の低い空間へ、年代順にF1マシンが並ぶ。年式とドライバー、戦績を示すパネルが、その隣にある。荘厳な雰囲気に、身が引き締まる。中学生らしきグループですら、静かに見入っていた。

コレクションの創設に、フランクは深く関わっていたと彼は説明する。「ウィリアムズの始まりといえる、パトリック・ヘッド時代を反映する必要がありました。そこで彼が手掛けた最初のマシン、FW06から展示は始まっています」

ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクションの様子
ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクションの様子    マックス・エドレストン(Max Edleston)

「初めて優勝したFW07が続き、アラン・ジョーンズ氏が駆った1980年式のFW07B、コンストラクターズ・タイトルを掴んだ1981年のFW07Cと進んでいきます」

1982年式のマシン、FW08Bは必見。全長は驚くほど長く、フロントの2本のタイヤは普通だが、リアには4本並ぶ。他を圧倒するほど速かったと、カルンは話す。「空気抵抗が小さく、長いフロアでダウンフォースが増して、四輪で駆動されましたからね」

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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