「開発資金が尽きると、スポンサーも消える」 ウィリアムズ・ヘリテージ・コレクション(2)
公開 : 2025.12.13 17:50
半世紀に渡るウィリアムズのF1での活躍を実感する、ヘリテージ・コレクション リアにタイヤ4本を並べたFW08B マンセルが優勝したホンダ・エンジンのFW11 UK編集部が荘厳なホールへ
安全性は大幅に向上した1980年代
ウィリアムズ・ヘリテージのコレクションを半分見た辺りで、現在この運営を統括するジョナサン・ケナード氏が表れた。ウィリアムズのテストドライバーだった経歴を持つ彼は、保有するマシンの可能性を更に引き出すという責務を負っている。
「マシンを売却する場合は、必ず走らせる人を対象にします。わたしたちへ管理を任せてもらいながら。多くの人にマシンを楽しんでもらい、ラップタイムを刻んで、所有体験を最高のものにしたいと思っています。世界一のカークラブのように」

もとF1ドライバーのカルン・チャンドック氏は、コーチドライバーを任されている。「多くの顧客は、ここまでのパワーとダウンフォースを持つレーサーを運転した経験がありません。F3マシンでのプログラムで、フォーミュラマシンに慣れてもらいます」
1980年代の展示エリアに進む。それ以前のマシンでは、ドライバーのつま先がフロントアクスルの前にあることへ、カルンが触れる。1986年に規則が変更され、ペダルはアクスルより後方に配置することが義務付けられ、安全性は大幅に向上したという。
マンセルが優勝したホンダ・エンジンのFW11
その頃、ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング社創業者の1人、フランク・ウィリアムズ氏は公道でクラッシュ。車椅子生活を送ることになった。それでも、チームは好調を維持していた。
「(ホンダ・エンジンの)FW11でシーズンは始まりました。自分が運転してみたいのは、FW11Bですね。1987年の英国グランプリで、ナイジェル(・マンセル)さんが優勝しています。今後2年ほど、デモ走行させる予定です」

1992年のFW14Bの前で、カルンは足を止める。「ナイジェルさんは筋力が強く、マシンを圧倒するのを好みました。もともと重たいステアリングは、ダウンフォースが増すほど重くなったでしょう」。他より25mm小さいステアリングホイールを指差す。
ジャック・ヴィルヌーヴ氏が駆った、FW19も外せない。ミハエル・シューマッハ氏との死闘の末、1997年のチャンピオンを奪ったマシンだ。その戦いの傷が、サイドポンツーンに残っている。新聞では旧友だと報じられた2人は、最後までライバルだった。
速さを支えた2万rpmまで回るBMW V10
伝説のアイルトン・セナ氏が、1994年のサンマリノ・グランプリで命を落とした、マシンのレプリカもある。その近くには、デイモン・ヒル氏がドライブした1995年式FW17が飾られる。頭部の保護技術が本格的に導入されたのは、その事故がきっかけだった。
21世紀には、新たなエンジン・パートナー、BMWと提携。2万rpmまで回るV10エンジンが速さを支えた。「2003年のFW25は、ウィリアムズがタイトル候補に加わった最後のマシンですね」。翌2004年を戦ったFW26は、1勝を掴んだに過ぎなかった。

「直近の20年間でウィリアムズが勝利したのは、FW34の1度だけ。開発資金が尽きると、スポンサーの資金も消えていくのです」。カルンが穏やかに口にする。
それでも、ウィリアムズはF1を諦めていない。ウィリアムズ・ヘリテージを構成する18名のチームは、歴史的なマシンを後世に残せるよう、尽力を続けるに違いない。
協力:ジョナサン・ケナード氏、ウィリアムズ・ヘリテージ


















































































































