【ラリーをマキシマム・アタック】WRCグループBを戦ったマルク・アレン 前編

公開 : 2020.05.31 08:50  更新 : 2020.12.08 11:04

世界ラリー選手権(WRC)のグループBで活躍した、ラリー・ドライバーのマルク・アレン。現在はフェラーリのテスト・ドライバーでもあります。鬼才のフライング・フィンへの、英国編集部によるインタビューです。

ラリー・ポルトガルで5度の優勝

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:Motorsports Images(モータースポーツ・イメージズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
一見、穏やかな雰囲気のマルク・アレン。時折気難しそうな表情を浮かべる。インタビューを始めると、不意に笑顔を作った。「早く終わらせましょう」 といいたげなように。

世界ラリー選手権(WRC)で活躍した、フィンランド人ラリードライバーと知られる、マルク・アレン。カリスマ的なスーパースターへ迫るために、質問を投げかける。

フィアット124アバルト・ラリー
フィアット124アバルト・ラリー

ポルトガルで毎年開かれる、カラムロ・モーターフェスティバル。にぎやかな雰囲気で、ここでは落ち着くこと自体が難しかっただろう。

フィンランド人ドライバーは、ラリー・ポルトガルで5度の優勝を遂げている。4万人近い来場者が、国旗やモデルカー、写真、帽子などへサインを希望するのに、不足のない偉業だ。大声で叫ばなければ、会話が成り立たない。

この数時間前、われわれはミュージアムの受付にいた。ヒーローはリラックスしているようだが、疲れてもいるようだった。

「わたしはこの国が大好きです。ポルトガルでの成績は良かったですから。ここで15回ラリーを走っていますが、リタイアは1度だけ。いつも良い結果で走れるラリーでした」 と話すアレン。

「モンテカルロなどでは、勝つことはできませんでした。でも、ポルトガルでは表彰台に登っていましたね。立つ位置はマチマチでしたが」

アレンは20年に渡りWRCで最もエキサイティングなドライバーであり続けた。誰よりも激しく戦いへ挑むように、容赦なくマシンを突き動かした。周囲の人の目には、そのように見えた。

次もマキシマム・アタック!

英国を会場としたRACラリーでも休憩の度に、続くステージへの質問が飛んだ。いつも死と隣り合わせの状況で、「次もマキシマム・アタックです」 と淡々と話した。その次の夜も。

実際、彼はマキシマム・アタックを繰り返した。全力で戦うも、結果的にWRCドライバーとして世界チャンピオンに登り詰めることはできなかった。論争の中で剥奪された、1986年の11日間を除いて。

1980年のマルク・アレン
1980年のマルク・アレン

マルク・アレンはWRCで129回のスタートを切り、19ラウンドで優勝。WRCへと切り替わる前の1978年には、ドライバーとしてFIAカップを獲得している。

彼は、801勝という、ステージ最多優勝という記録も長年保持してきた。2011年にセバスチャン・ローブが記録を塗り替えるまで。

アレンの父親も、アイスレースのチャンピオン。アレンがドライバーになっても不思議ではない。だが、父の経歴がモータースポーツを始めるきっかけではない、と主張する。

「わたしの幼少期のヒーローは、ティモ・マキネン、ヘンリ・パウリ・トイヴォネン、ハンヌ・ミッコラだけです。飛ぶように速いフィンランド人、フライング・フィンの、元祖です」 と話している。

「1967年、16才の時にラリー・フィンランドの前進、1000湖ラリーを観戦しました。この時のドライバーを見て、ラリーカーを運転したいと思ったんです。モータースポーツの入り口として始めたレーシングカートとバイクが、さらに夢中にさせました」

「クルマの免許を取るとすぐに、競技へ参加しました。最初のイベントは、ハンク・ラリー(スノー・ラリー)でした。結果は2位です」

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