【世界初の量産V6を搭載】ランチア・アウレリアとフラミニア 評価のわかれたクーペ 前編

公開 : 2020.10.24 07:20  更新 : 2020.12.08 08:40

出だしは好調だったフラミリア

フラミニアのスタートは順調だった。1957年にサルーンのベルリーナが発表されると、ドライバーやマスコミは大歓迎で新しいランチアを迎えた。だが、2.5Lのサルーンとして最も高価な1台に数えられたモデルを、買える人は限られていた。

1958年には、ツーリングやザガート、ピニンファリーナ・ボディの特別な2ドア・クーペが追加。肯定的な注目を集めることに成功した。合理化を進めるべきだったランチアだが、モデルレンジの拡大を進めた。

ランチア・フラミリア・クーペ 2.8(1963年〜1967年)
ランチア・フラミリア・クーペ 2.8(1963年〜1967年)

フラミニア・ツーリングGTは、アウレリアB20に最も近いモデルだったといえる。一方で販売的には、4シーターのピニンファリーナ・クーペの方が、より直系になったといえるだろう。

1970年の製造終了までに、3424台のフラミニア・サルーンをランチアは販売していたが、ピニンファリーナ・クーペは5282台が市場に出た。製造年は1958年から67年とわずかに短いものの、フラミリアでは主要な位置を占めていた。

クーペはサルーンより軽量で、全長は少し短い。3B型と呼ばれる2.5LのV6エンジンを搭載し、最高出力は120ps版と129ps版が用意された。後期になると2.8Lへ排気量を拡大。3チョークのソレックス・キャブレターを装備し、138psを獲得している。

一方、前身のアウレリアB20では、シリーズ4が最もパワー・ウエイト・レシオに優れる。最高出力は120psだったが、フラミリアのクーペより活発に走った。この事実が、ランチアの後継モデルの勢いを鈍らせた理由の1つだったといえる。

世界初の量産V6エンジンを搭載

ラグジュアリー路線のフラミリアと比べると、アウレリアはアスリート系。フラミリア・ザガートですら、モータースポーツでのエピソードは残っていない。

1950年代を通じて、アウレリアは多くのレースシーンで活躍。ミッレ・ミリアやル・マン、タルガ・フローリオなどで、ランチアを強くイメージ付けた。

ランチア・アウレリアB20 GT S6/ランチア・フラミリア・クーペ 2.8
ランチア・アウレリアB20 GT S6/ランチア・フラミリア・クーペ 2.8

アウレリアは、ジャンニ・ランチアの指揮のもと、伝説的な技術者のヴィットリオ・ヤーノが設計を手掛けている。後継モデルには太刀打ちできない、成り立ちの上での感情的な強みがある。

50年に及ぶ歴史の革新的なブランドとして、アウレリアには卓越した内容が期待された。その結果、世界初の量産V6エンジンを搭載し、トランスアクスル・レイアウトを採用する。

リア・サスペンションは先進的なセミトレーリングアーム式。当時のランチア水準でいっても画期的で、高い洗練度を備えた内容だった。さらに4ドアサルーンのベルリーナより小さく軽量なボディも、当然のように派生した。

1951年のトリノ・モーターショーで登場したのが、B20 GT。2.0Lエンジンに2+2レイアウトのファストバック・ボディをまとった。サルーンよりホイールベースも短い。

最高出力76psで、最高速度は160km/h。グランドツアラーというクーペ・スタイルを提示した。

イタリアの高速道路を、3.0Lや4.0Lエンジンのモデルと同様に安楽にクルージングでき、長距離を短時間でこなした。それでいてステルビオ峠では、ミシュランXタイヤを有効に使った走りを楽しめた。

この続きは後編にて。

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