【世界初の量産V6を搭載】ランチア・アウレリアとフラミニア 評価のわかれたクーペ 前編

公開 : 2020.10.24 07:20  更新 : 2020.12.08 08:40

1950年代の高評価なランチア・アウレリアB20 GTの影響で、ハードルが高くなった1960年代のランチア。後継のフラミニアへの風当たりは、強いものでした。しかし褒めるべきところも沢山。詳しくご紹介しましょう。

評価が分かれるアウレリアとフラミリア

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

  
高く評価された車種の後継モデルは、ファンから否定的に見られることが少なくない。ランチア・アウレリアB20 GTと、その後継車種にあたるフラミニア・クーペも、そんな関係にある。

客観的には全体的に前身より優れていた、1958年登場のフラミニア。しかし、アウレリアのように多くの称賛を集め、広く認められるモデルにはなれなかった。現在のアウレリアB20 GTの取引価格を見れば、その差は今も変わらないようだ。

ランチア・アウレリアB20 GT S6/ランチア・フラミリア・クーペ 2.8
ランチア・アウレリアB20 GT S6/ランチア・フラミリア・クーペ 2.8

筆者はこれまでフラミニアを数台所有し、その価値を理解している。しかし、コレクターがアウレリアを珍重し、高い価格で売買する気持ちもわからなくはない。

技術的には、この2台は似通っている。兄弟関係にあるといっても良い。

アウレリアとフラミニアは、いわゆる普通のクルマと、フェラーリマセラティアストン マーティンなどの大型なエキゾチック・クーペとの間に位置するようなモデルだ。一方で、実用的なメルセデス・ベンツランドローバーなどとも違う。

英国の例でいうなら、6気筒のブリストルが、V6エンジンを積んだランチアとイメージ的には近いかもしれない。目の肥えた人が選ぶような、わかる人にはわかるタイプ。

この頃のランチアには、ドライバーへの訴求力も、技術的な洗練性も備わっている。美しいボディと、機能的な素晴らしさも。見られ方が、大きく異なる以外は。

モータースポーツのイメージが牽引

アウレリアB20 GTには、革新性とモータースポーツでの栄光という物語がそばにある。レーシングドライバーに憧れた多くの人が、少なくない現金を準備して、アウレリアを手に入れた。1950年代の、高性能なスポーツカーだった。

ところがフラミニアには、機会を逸した失敗作というイメージが染み付いている。技術的に古いというイメージや、感心を集めにくいスタイリングが、フラミリアの販売の足を引っ張った。

ランチア・アウレリアB20 GT S6(1957年〜1958年)
ランチア・アウレリアB20 GT S6(1957年〜1958年)

一方で、ランチアとして最も高い製造品質を備えた時代のモデルだと、考えている人も少なくない。この頃のランチアは、深刻な財政難に苦しんでいた。2台の高い水準とは裏腹に。

1955年、ランチアの経営はランチア家から、カルロ・ペゼンティへと移り変わる。その楽観主義といえる戦略の中で、フラミリアは誕生した。

実際のところ、フラミニアは全面的な改良が加えられていた。技術者のアントニオ・フェシアが手掛けた、不等長のウイッシュボーン・サスペンションをフロントに採用。独立懸架式を採用し続けたランチアとしては、大きな方針転換といえた。

この進化が、熱心なランチア・ファンを遠ざけることになった。スライディング・ピラーと呼ばれる、古いサスペンション構造に執着する気持ちが、フラミニアの否定へとつながった。

魅力がなかったわけではない。先代のイメージを高めたモータースポーツとは違うスタイルとして、1960年代初頭の新しいブランドを提示していた。

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