【ポルシェ911 3.0 RSR】1975年ル・マン総合6位 ニック・フォーレとの再開 後編

公開 : 2020.11.08 11:50

11度のル・マン参戦という偉業を持つ英国人レーサー、ニック・フォーレ。トップレースでの勝利を目指した、ポルシェ911 3.0 RSR。1975年のル・マンで総合6位入賞のドライバーとマシンが、夢の再会を果たしました。

スプレー缶で自ら塗った星条旗カラー

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

  
パワーアップに合わせるように、ポルシェ911 3.0 RSRのディは驚くほどワイド。フェンダー片側で50mmほど広げられ、レース用スリックが包む14Jホイールを収めている。

リアバンパーに覆いかぶさるような、大きなリアスポイラーも装備。スタブ・アクスルを設計し直し、フロントは18mm車高が落とされた。

ポルシェ911 3.0 RSR(1974年)
ポルシェ911 3.0 RSR(1974年)

ポルシェ917譲りのブレーキは、3.0 RSRにも採用。ル・マン・プロトタイプ用の、耐久性の高いキャリパーとパッドが組まれている。

ポルシェの熱狂的なファン、ジャン・ブラトンは、1974年シーズンに一足先に3.0 RSRをドライブ。イエローに塗られたボディで快走するが、トランスミッションの不具合でリタイアした。

続く1975年のル・マン。ニック・フォーレとジョン・クーパー、ジャン・ブラトンがドライブしたのは、もとイエローの3.0 RSR。シャシー番号9072で、54台中26番目のクルマだった。

バーで描いたスケッチのように、フォーレは3.0 RSRをハーレー・ダビッドソンの星条旗カラーに塗装した。「ブラトンはアルナージのシェル・ガレージを借りていました。後ろにワークショップがあり、そこで作業しました」。とフォーレが説明する。

「イエローだったボディは、ホワイトに塗られていました。車内はイエローのまま。英国で買ってきた、ガード・レッドとルノー・ブルーのスプレー缶で塗装。ルーフは星型のステンシルで、型抜きしています」

「ピンストライプも、わたしの手作業。ラインは、マスキングテープを使って黒の輪郭を塗って、際立たせています。翌朝クルマを見た2人は、仕上がりに喜んでいたようです」

総合6位、クラス2位を勝ち取る

フォーレはル・マン初参戦だったが、夜間のレースも初めて。「運転は意外に簡単でした。全員が同じ方向に進むので、赤信号を気にしていれば大丈夫。速いマシンはフルビームで追いかけてくるので、ミラーに反射して接近がわかります」

1975年のル・マンは、厳しい燃費規制が導入され、フェラーリアルファ・ロメオの参戦をためらわせた。しかし、ポルシェにとっては素晴らしいレースになった。

ポルシェ911 3.0 RSR(1974年)
ポルシェ911 3.0 RSR(1974年)

グリッドの半分以上を占めたのが、ポルシェ911。プライベーターのRSやRSRのほか、クレマーやイエーガーマイスターなど、資金力のあるチームが並んだ。

日曜日の夕方、一番にチェッカーフラッグを受けたのは、ジャッキー・イクスとデレク・ベルがドライブするガルフ・ミラージュGR8。ジャン・ルイ・ラフォッスとガイシャスイユ組みのGR8が2位、ヨースト・ポルシェ908/3が3位と続いた。

信頼性とスピードを証明するように、以降の4位から10位まではポルシェ911 RSRやRSが独占。フォーレも総合6位、クラス2位を勝ち取った。

「最後のスティント、日曜日の正午から4時までをドライブしました」。と振り返るフォーレ。「3.0 RSRは走りに走って、24時間中ピットストップしたのは、たった20分。記録に近いはずです。タイヤ交換もなしです」

「その頃は、ピット・バルコニーがサーキットとピットレーンの真上に出ていて、多くの観客がわれわれを上から見ていました。いつも視線を感じて、戦う闘牛士のようでしたね」

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