【ラリー・モンテカルロ優勝】1931年インヴィクタSタイプ 時価2億8000万円 前編

公開 : 2021.02.06 07:25

90年前のラリー・モンテカルロで極寒のノルウェーから地中海を目指し、勝利を掴んだドナルド。1931年の優勝マシン、インヴィクタSタイプをご紹介します。

もくじ

ラリーがマシンの品質を実証する場
太い低速トルクと、ハンドリングの癖
1931年のラリー・モンテカルロへ挑む
3600kmのほとんどをドライブしたドナルド
歪んだインヴィクタで掴み取った優勝

ラリーがマシンの品質を実証する場

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
一般的に、レースはクルマを磨く。インヴィクタ・カーズの創業者、ノエル・マックリンも同じ概念を抱いてはいたが、少しアプローチが異なった。

裕福な家庭で育ち、英国の名門、イートン校で学んだ彼は、ラリーこそがマシンの品質を実証し販売を伸ばす最良の方法だと考えた。その成功の鍵を握っていたのは、第一次世界大戦の元パイロット、ドナルド・ヒーリーだった。

インヴィクタSタイプ(1931年)
インヴィクタSタイプ(1931年)

欧州でのラリーにトライアンフ・スーパー7で参戦したドナルドは、もっとパワフルなマシンを求めていた。ドナルドの活躍に感銘を受けたマックリンは、インヴィクタ製モデルのPRを依頼する。欧州で最も過酷なラリーへのチャレンジを通じて。

2人の結びつきは、1930年7月に始まった。マックリンがインヴィクタ3リッター・ハイシャシー・ツアラーを、アルペン・トライアルのために貸したのがきっかけだった。

前シーズンは747ccの軽快なスーパー7で戦ったドナルド。豊かなトルクを生み出すマシンを楽しんだ。サイクルフェンダーとスペアタイアを装備し、アルプス山脈でのヒルクライムなど、多くのイベントへ出場している。

「インヴィクタは素晴らしい。軽量でトルクが太く、加速がいい。どんなライバルより、はるかに優れています」。と、アウストロ・ダイムラーに乗るエース、ハンス・シュトゥックを破ったドナルドは、当時興奮しながら答えている。

体格のいいウォルフバウアー教授など、2名を余計に乗せていたにも関わらず、ドナルドは圧勝。リアシートに大きなトロフィーを載せて英国ペランポースへ戻ると、熱狂した地元の人々から祝福を受けた。

太い低速トルクと、ハンドリングの癖

その時すでに、次のモデルの準備が進められていた。ローシャシーを備える名車、インヴィクタSタイプだ。コブハム工場で、完成間近の状態だった。

ドナルドの活躍に勢いづいたマックリンは、新しい4.5リッター・エンジンの新しいスポーツカー、Sタイプをラリー・モンテカルロでデビューさせることを決める。ドライバーは、もちろんドナルドに任された。

インヴィクタSタイプ(1931年)
インヴィクタSタイプ(1931年)

シャシー番号はS48、ナンバーはPL 3188で登録された。まさに今回ご紹介するクルマそのものだ。完成したSタイプが届けられたのは、数ヶ月前。

マシンは車重を軽くするため、ファブリックで覆われたウェイマン・ボディで仕上げられた。快適な助手席も備わり、走りやすい道では運転をナビゲーターに頼み、ドナルドはつかの間の休憩が取れる計画だった。4日間に及ぶ、過酷な耐久レースの合間に。

スタイリッシュなデザインだったが、低い車高による最低地上高を気にしたドナルド。より大きなホイールを履かせ、サイクルフェンダーの位置を持ち上げた。深い雪で覆われた道に対応するため。

英国コーンウォール周辺で行ったテスト走行。ペランポースとコブハム工場の往復ルートを走行したドナルドは、インヴィクタSタイプの動的性能に驚いた。とりわけ、メドウズ製の直列6気筒エンジンが生む、低回転域のトルクに感動したようだ。

一方でハンドリングには、気になる部分もあった。「リアの燃料タンクでバランスが取れていないと、フロントが重すぎました。アンダーステアから突如オーバーステアへ変化し、恐ろしく感じたものです」。とドナルドは後に振り返っている。

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