【トライアンフのMS部門】ワークスのTR2からTR7 V8、 スピットファイアに2.5 PIまで 前編

公開 : 2021.04.24 07:05

1961年のル・マン24時間レースでチーム賞

欧州数カ国を巡るリエージュ・ローマ・リエージュ・ラリーでも、果敢に難関コースを駆け抜けた。オースチン・ヒーレーなど大きなライバルが登場し、格上といえる速さを見せつけられるまで。

リチャードソンは、レギュレーションに有利なモデルを投入するよう強要された場面もあった。その中でも、高度にチューニングされたスタンダード・エイトやテンは、悪くない成績を残した。

ツインカムエンジンを搭載したトライアンフTRS(1960年)
ツインカムエンジンを搭載したトライアンフTRS(1960年)

1955年のRACラリーでは、ジミー・レイのドライブで優勝。1956年のオランダ・チューリップ・ラリーでも、モーリス・ガトソニデスがステアリングホイールを握り2位に入賞している。1958年のRACラリーでは、ロン・ゴールドボーンが好成績を残した。

グラスファイバー製ボディで軽量化された162psのTRSは、1961年のル・マン24時間レースでチーム賞を受賞。優れた成績を残していた裏側で、モータースポーツ部門以外からは古いTRシリーズでの参戦をやめるように、圧力がかかっていたようだ。

トライアンフの親会社がレイランド・モータースへ変わると、モータースポーツ部門は突然解散。リチャードソンは解雇され、1962年に技術者のハリー・ウェブスターを部門トップに登用。規模を縮小して再始動する。

筆者、ロブソンがマネージャーを務めた復活したワークス部門は、すぐに態勢を整えた。1台のサポートカーを含む4台のTR4は、新しい部品開発に予算を費やすことなく、レギュレーションに合わせてホモロゲーションを獲得している。

信頼性に優れた3台のTR4

2年後には、TR4は35psから40ps程度パワーアップ。45kg以上の軽量化が図られ、オースチン・ヒーレー3000の戦力に近づいた。だが、同等と呼べるほどではなかった。

そのかわり信頼性は高かった。ウェーバー・キャブレターで武装した2.2Lエンジン版では、マイク・サトクリフのドライブで1962年のアルペン・ラリーの4位を掴んでいる。

トライアンフ・ヴィテス(1963年)
トライアンフ・ヴィテス(1963年)

英国や欧州、カナダではチーム賞も獲得。ラリーを戦った3台のTR4は、キャリアの終わりまで存在感を示したといえる。

TR4での戦いと並行するように、モータースポーツ部門は2ドア・サルーンのトライアンフ・ヴィテスをラリーカーへ仕立てるプログラムをスタート。1.6Lエンジンで、フォードの新しいロータス・ロルチナとの直接対決に挑むことが目指された。

ところが1963年のラリー・モンテカルロで、ヴィテスは期待はずれ。スパ・ソフィア・リエージュ・ラリーでも、エンジンからの出火でリタイヤしてしまい、チームを苛立たせた。

1964年シーズンは、大幅に予算が拡充。ワークスマシンとして2種類のモデルを用意し、世界クラスのモータースポーツへ挑戦した。

トライアンフ・スピットファイアはチューニングを受け、1.1Lの小さなレーサーに仕立てられた。スチールボディのクルマはラリー用、軽量なアルミニウム・ボディのクルマはル・マン用。すべてがクーペとして、ルーフパネルが付けられている。

この続きは後編にて。

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